2011年 活動内容

2011年11月6日

中国・四国地区研究会報告
場所: 岡山大学・文化科学系総合研究棟・総合演習室2

テーマ:「在日コリアン研究における心理学的な視点の可能性を探る-二文化への態度を読み解く-」 (Probing the Feasibility of Psychological Perspectives in Research on Korean Residents in Japan: Understanding Attitudes Toward the Two Cultures.)

話題提供者:李正姫(イジョンヒ)(Lee Jung Hui)

発表素材:在日コリアンに関する、心理学的な研究視点の持つ可能性についてお話をうかがうことができました。従来、社会や教育などの分野では盛んに取り上げられてきた在日コリアンですが、心理学的な研究は極めて乏しい現状にあります。在日コリアンでは、二つの文化をどう個人の中で位置づけ、自らをどう称していくのか、それぞれの文化との接し方とメンタルヘルスとの関連はどのようになっているのか。また二文化の統合の概念や自由人の概念は、在日コリアンではどのように解釈されていくのか。彼らの日本滞在を巡る複雑な心理については、関連領域からの示唆は得られていても、精緻な心理学的な研究はあまり蓄積がありません。他国の移民などの異文化滞在者研究に比して、未だに心理学的な解明が乏しく、研究は手探りです。話題提供者が、探索的な研究から開始して、研究のパラダイムを見いだしつつあるという興味深いお話を、具体的な研究の例とともに聞くことができました。
文責(田中 共子)


2011年8月6日(土)

北海道・東北地区研究会報告
北海道東北地区研究会では、2011年8月6日(土)、「異文化接触再考:ミクロとマクロの視点から」というテーマのもと、2名の先生方による発表とフロアを含めた討議が行われた。
まず、最初の話題提供者である、青森公立大学の山本志都氏は、「異文化接触における相互作用を学習体験化するコミュニケーションを考える」というタイトルで発表された。同氏は、まず、異文化間能力についての研究においては、必要な知識や能力がいかに学習されるかという学習過程そのものを概念化するような研究は比較的軽視されてきたという問題点を指摘された。また、現在まで支配的となっている、「何がどのように学習されるか」といった細分化による分析法から脱し、「異文化接触が学習過程そのものである」という統合的視野から研究を進める必要性を論じられた。さらに、自身が外国人国際交流員(CIR)と共に働く人々を対象として行った研究例をもとに、「配慮型アサーション」「情報更新による調整」「異文化情報の収集」「自文化情報の発信」「初心者フォロー」「非公式的な場の活用」「親密化」などが異文化間の学習を促進する方略として使われていたことを明らかにした上で、最後に、異文化接触の体験を学習機会として最大限活用することができるようなコミュニケーションの探求をさらに進めていく重要性について指摘された。
発表を通して、まず実際の異文化接触を「学習機会」として捉える視点は大変興味深いものだと感じられた。多文化化が進む日本社会においては、このような視点から進められる研究に対する必要性は益々高くなることが予想されよう。今後、本研究から導き出された各方略と外国人の視点からの異文化能力との関連性の探求など、異文化間能力の解明につながる研究の進展の必要性を強く感じた次第である。
2人目の話題提供者である、兵庫県立大学の松田陽子氏は、「オーストラリアにおける多文化主義政策の課題と可能性」について発表された。発表ではまず、多文化・多言語社会オーストラリアの現状と、「多文化主義」政策の概説から始まり、その後白豪主義から多文化主義への政策転換に関しては、その理念や、背後に潜むさまざまな国内外の要因に対する分析などを交えながらわかりやすく解説された。また、その変容に関しては、市民社会からのボトムアップ及び、政府のトップダウンの力、国内の社会・経済・文化的要因、国際環境要因の各観点から詳細に考察された。さらに、現時点では、多文化主義の柱である「多文化の尊重、社会的公正、経済効率化」の三つの観点をめぐりさまざまな葛藤や批判があり、それらの課題に対する解決策の模索が続いていることを指摘された。最後に、これらの議論を踏まえ、多文化共社会に向けて日本が直面している課題について議論された。
オーストラリアの多文化主義についての背景景色が薄い筆者のような人間にも大変わかりやすい発表であった。1時間という短時間で複雑な問題の全容が把握できたような錯覚に陥るほど明快に解説して頂き、知的満足を味わうことができた。しかしながら、日本という土壌に多文化主義は根付くのだろうかと考えた瞬間、あまりに大きな課題に暗澹とした気分にならざるを得なかった。今後、多文化関係の研究者に求められているのは個々人の方法で実際の社会にかかわり、行動し、意見するという積極的な姿勢ではないかと強く感じさせられた。
当日は、こじんまりとした和やかな雰囲気の中、二名の話題提供者を迎え、参加者を交えて活発な質疑応答及び意見交換を行うことができた。遠路はるばるお越しくださった松田先生と山本先生はじめ、熱心な参加者の皆さんのおかげで、研究会らしい非常に濃密なそして充実した数時間を過ごせたことは幸いである。ここに、研究者のお二人の先生方及び参加者の皆さんに感謝申し上げたい。


2011年8月18日(月・祝日)

関東地区研究会報告
場所: 立教大学

第一セッション:多文化の視点からみる東北大震災と今後の課題(年次大会企画 震災ワーキンググループ 「被災地の声―みえてくる多文化社会の課題と挑戦―」のプレセッション)

9月の年次大会で開催する震災関連ワークショップ「被災地の声―みえてくる多文化社会の課題と挑戦」のプレセッション。まず被災地でのボランティア活動の経験を紹介する。続いてワーキンググループで収集した情報を提供した上で、参加者による意見交換を行う。(大震災関連JSMRワーキンググループ特集の記事もご参照ください。)
This is a preconference session for the Tohoku Earthquake Workshop in the Annual Conference of JSMR held in September. The session starts with a volunteer’s report by Mr. Saneyuki Maekawa, followed by discussion among participants. Some information from Working Group members will be shared as a guide for discussion. (Please see also the feature articles on the JSMR Working Group on Disasters)
前川仁之氏(立教大学)からの震災現場でのボランティア報告
Saneyuki Maekawa, Rikkyo University、Volunteer’s Report from the Devastated Site
渋谷百代(埼玉大学)Momoyo Shibuya, Saitama University ,The Tohoku Earthquake and Issues around Migration

災害の復興にどう関わるか、その答えは人により様々だ。が、何か自分ができることで直接支援したい、と思いを行動に移すボランティアは、日本でも着実に増えている。ボランティア活動は阪神淡路大震災をきっかけに定着した感があるが、今回の東日本大震災でもこれまでに蓄積されたノウハウを生かしながら、復興への力になってきた。 第1セッションは、そんなボランティア活動を宮城県で行った前川氏の体験談から始まった。前川氏は、撮影した写真で塩竈や多賀城の被災状況を紹介しつつ、自らのボランティア活動について説明。ボランティアのニーズが掘り起こされていないところに、個人で声をかけながら情報収集して活動する中で、野球のグローブを学校から譲り受け被災者の子供達に届けた経験などを披露した。と同時に、(「被災地」「準被災地」など)被災地間にある意味の序列ができてしまっている現状に対する危機感も伝えられた。 続くディスカッションでは、参加者がそれぞれの視点から活発に意見交換を行った。特に、記録・実態の把握の重要性やその一手法としてのオーラルヒストリー収集、風評・無理解・偏見等による差別問題やそれを改善するために何をどう伝えて行くべきかを検討する必要性、また、具体的支援への関わり方や研究者の役割についても議論された。被災地に押し掛け被災者に負担を強いる研究者の是非はあるが、やはり真摯に問題に向き合い、関わる、という姿勢が大切だろうということも確認された。 東日本大震災に対し多文化関係学会としてどう関わるのか考えることを課題として共有したいとディスカッションの場を今回の研究会に設けていただいたが、その結果、いくつかの研究上の焦点も見え始めてきた。年次大会でのワークショップで更なる具体的な展開を期待したい。
文責:渋谷百代 埼玉大学経済学部

第二セッション:朝鮮半島への多視点的アプローチ

話題提供者(1):マーク・E・カプリオ氏(立教大学)(Mark E. Caprio, Rikkyo University)
発表テーマ:「複合的視点から見た朝鮮半島問題」
“Viewing Korean Peninsula Issues through Multiple Lenses”

拉致問題、日本近海へのミサイル発射、核兵器開発など、北朝鮮は日本の安全保障及び東アジアの安定を脅かす存在となっている。マスメディアに登場する北朝鮮は、「サングラスをかけた金正日」、「大規模な軍事パレード」、「マスゲーム」と紋切り型であり、なかなかその実情に迫ることは難しい。必然的に、北朝鮮問題も手詰まり感が漂ってくる。
カプリオ氏は、北朝鮮問題をこのような画一的な見方から考えるのではなく、複合的な視点から深く広く重層的に『理解』することで、問題解決のオプションが増えてくると提言している。複合的な視点とは、「絶対的」と「相対的」、「結果」と「歴史・過程」、「短期的」と「長期的」、そして「ローカル」と「グローバル」など異なる二軸の組み合わせのことを指している。 一例として「絶対的」と「相対的」を取り上げると、北朝鮮の国民総生産(GDP)に占める国防費は約25%であり、日本は1%となっているが、これを絶対額で比較すると北朝鮮が年間100億ドルに対して日本は430億ドルとなっている。また、「結果」と「歴史・経緯」については、2010年11月23日に発生した延坪島事件を取り上げ、日米のマスコミが延坪島の位置関係(付近は南北双方が未だに領有権を主張している)や、事件に先立って付近で米韓の合同演習が行われていたことについては説明していないことが指摘された。 以上のように複合的な視点から北朝鮮問題を分析することで、問題を『理解』し、解決策に到ることが出来るというのが、カプリオ氏の説明の趣旨である。
私は、職業柄、外国政府の官僚と交渉することがあるが、問題が起きると、ついついその問題を解決するための交渉を如何にまとめるかに集中してしまう。今回の話は、相手側の論理を理解することの重要性はもちろんではあるが、それ以外に時間軸、空間軸、比較するモノサシをそれぞれ違った値から見ることの重要性を説いたもので、問題分析・問題解決の有益なヒントであった。
文責:舘山丈太郎(独立行政法人国際協力機構)

話題提供者(2):イ・ヒャンジン氏 (立教大学)( Lee Hyangjin, Rikkyo University)
発表テーマ:「日本における韓国大衆文化と在日」“The Korean Wave and re/presentation of Koreans in Japanese popular culture”

2003年頃から「韓流ブーム」が始まったが、日本における韓国大衆文化の受容は、現在では、もはや「ブーム」などではなくなり、定着化の一路を辿っているように見える。『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンに始まり、東方神起やKARAに至っては、小学生の間でも人気が高い。本発表において、李氏は、日本人を対象に行なったアンケート調査やインタビュー調査を基に、韓国の大衆文化が日本でどのように受容されたか、そして、そのことによって、日韓の文化への認識がどのような変容を遂げてきたのか、に関して、主に議論を展開された。
特に興味深く思われたのは、韓流ブームの成立の背景に、社会的にマージナルな存在とされてきた中年女性の現実があったという点である。男性にはポルノ、子供にはアニメ等の娯楽ジャンルがあるが、中年の女性向けには娯楽ジャンルが存在していなかった。その隙間を埋めたのが韓流ドラマだったということである。家庭のためだけに生きてきたような多くの中年女性にとって、韓流は一気に情熱を注ぐ対象となった。
現在では、韓流は中年女性から若者へと広がりを見せ、日本人の日常の一部となっていると言っても過言ではない。そのような状況下、20代以下の若者・子供達の韓国観は、これまでの世代とは異なっているという。韓国でも、民主化をリードした60年代生まれの人々と違い、今の20代の若者には、日本に対するコンプレックスがない。現在、若者たちは、その善し悪しは別として、歴史にとらわれない、新たな道を歩み始めているということであろう。
最後に、大衆文化が、その枠内にとどまらず、広く社会へ波及していく可能性にも触れられた。鉱山での朝鮮人の強制労働の痕跡を残す、京都の丹波マンガン記念館の再建に際し、韓国のユンドヒョンバンドが歌った映像の中に、「過去の中に明日がある。痛みの中に希望がある」という印象的な歌詞があった。大衆文化の社会への影響は決して小さいものではなく、日韓関係において重要な役割を担い得るものであることが示されている一例と言えよう。楽しい雰囲気の中、映画や歌の映像を実際に見ながら、貴重なお話を聞かせていただけたことに感謝申し上げたい。
文責:瀬端 睦 立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科


2011年7月17日(日)14:00~17:00

中部・関西地区夏季研究会報告
場所: 龍谷大学・大阪梅田キャンパス
〒530-0001 大阪市北区梅田2-2-2
ヒルトンプラザウエストオフィスタワー14階
TEL:06-6344-0218 FAX:06-6344-0261
テーマ:「日本社会と朝鮮学校:言語、文化継承の視点から」

話題提供者(1): 田中宏【自由人権協会代表理事】
タイトル: 「高校無償化の朝鮮学校除外に見える日本の多文化共生」 Japan’s multicultural existence seen in the exclusion of Korean ethnic high schools from the planned school tuition-free program

最初の講演は、一橋大学名誉教授である田中宏先生によって「朝鮮学校の高等学校授業料無償除外」について講演された。先生は長年、在日韓国・朝鮮人にめぐる様々な課題について運動してきた方である。その運動は現在に至り、朝鮮学校の高校無償化の朝鮮学校排除に反対の意を唱えてられている。田中先生は、朝鮮学校の歴史を分かりやすく説明され、全国で必ずしも一貫した処遇を朝鮮学校に与えなかったことがわかった。東京都等、公立の朝鮮学校もあった時代もありながら、別の地域では同胞が自ら設置運営してきたケースもあった。1968年からは、朝鮮学校は全て各種学校と認可されているので、無償制度外はあり得ないことを理由にあげ、)民主党政権が打ち出した高等学校無償制度から朝鮮学校が除外された場合、それは差別であると強く主張された。 次の講演は、京都大学大学院の柳美佐先生による朝鮮学校でのエスノグラフィ研究についての報告でした。小学生を対象に、朝鮮学校における2言語使用教育について説明されました。通常日本語を使用している普通の在日朝鮮人の家庭から学校の教育課程に参加するとかなりの朝鮮語の習得が見られた。これは、アイデンティティの形成が共に行われているのが大きい原因である。また、他の2言語使用教育機関と同様に、二つの言語を同時に習うのはハンディキャップにはなっていないことが説明された。

二つの講演には、田中先生がマクロ在日朝鮮人の事情を紹介し、時事的な問題を投げかけ、柳さんは、ミクロに朝鮮学校の実態を描写していただいた。研究会としてバランスがとれた企画でした。ただ、疑問に残る部分もありました。田中先生は、在日朝鮮学校の実態をもっと日本の知識人に知ってもらいたいと訴えた。しかし、それを可能にするためには論点を広げる必要があると思いました。在日韓国・朝鮮人を巡る課題は日本の歴史のみで論議されていて、あまり比較的な論議がされていないという印象をもった。また、二つの概念「差別」と「国籍」についてさらに考察が必要だと思った。研究会が終了して数週間が立った。その間、一人の多文化関係学会の会員として、指摘された問題を心に留め、思いめぐらした。その理解への過程をここで分ちたいと思う。

私は、あまり在日コリアンについて知る、または勉強する機会がなかった、または、求めようとしなかった。その背景の中で、今回の高等学校授業料無償除外は、「差別だ」、「差別だ」、と叫ばれるのに対して、疑問が湧いた。どのような差別なのか、なかなかピンとこない。それが私の反応だった。それを理解するために少し「差別」を分析しようとした。大体五つの類いがそんざいするかと考えた。
(1)限られた食料、物資、雇用の供給優先順位による差別
(2)あるグループの優越感から起きる差別(知能、開発度、文明評価等)
(3)ある国が民族・人種的に純粋さを計ることによる差別
(4)国策の制度的な差別でグループによって処遇が違う
(5)あるグループは国防上危険と思われて差別する
もっとあるかもしれない。また、もしかしたら1から5まで当てはまるかもしれないが、ここでは先ず(1)と(4)に触れ、(5)は「国籍」を取り上げる時に触れる。
戦後、物の足りない苦しい時期にさらなるグループが日本社会環境を圧迫する。それが、外地からの引揚者である。その数は7百万近く帰って来て、在日アジア人の人口の2倍を及ぼした (Watt, 2009 p. 2)。彼らは、社会的に内地日本人と在日アジア人の間に居ることになった、在日アジア人は内地日本人とともに地方で暮らし、その地方性が強かった。引揚者は、その反対に、標準日本語を喋り、中央、或はコズモポリタン志向を持っていたとLori Watt (2009) が指摘する。彼らが戦後社会の価値観に良く合致して、十数年後に高度成長の波に浴びて内地日本人とほぼ同化している。これがもう一つの疑問でした。このグループの存在の歴史的な論議はなされていない。
ただ、外地に暮らしていた時、その引揚者は現地で一番高い階級にあった。我が学会員の朴仁哲さんは、旧満州の社会についてオーラルヒストリを研究されて、研究会及び大会で複数回発表なさった。彼の研究の中で、満州での政策として民族によった給料の違いがあった(e.g.朴、2007)。私が疑問に思うのが、このような政策的な差別は、果たして日本で創造されたか。又は、他の帝国から真似をしたか。なぜなら、このようなやり方は 南アフリカに似ている。例えば、インド人が大英帝国の中で労働者としてアフリカに移動した。そこで、アフリカ人とイギリス人の間に位置づけられる。モハンダス・ガンディの活動は、南アフリカでの労働運動から始まり、その成功によって後にインド独立運動を指導する (Gandhi, 1957/1993)。 このように他の国・地域の状況によって歴史上の関係性が存在するかしないか知りたい。

田中先生の講演の中で、国籍の問題を歴史的に取り上げられた。1947年に、日本憲法が発表される直前に、旧植民地出身の住民はすべて、日本国籍を喪失し、外国人登録法の下に外国人として扱われるようになった。在日コリアンの中には、韓国籍を選んだ人たちは韓国人になり、その他の人たちは無国籍者になった。1991年に、旧植民地出身者とその子孫は特別永住者との資格をもつようになった。
国籍を停止する例は、南アフリカにもあった。1948年に、国民党 (Nationalist Party) がアパルトヘード政策を本格的に始める。その長期計画について、全てのバンテウ系の黒人が国内設立される homelands いわゆる「国」の国籍を持つ。そうすれば外国人扱いにされる (Fage, 1978)。外国人だと差別し易くなる、また差別しても良いことになりえる。ただ、南アフリカの黒人も在日コリアンにとっても国籍が失われる前にも差別があった。
また、逆に外国籍であるということによって、グループメンバーがはっきりする利点もある。団結と支援がもっと可能になる。在日コリアンの場合、近年、韓国が外交レベルで、法的改善に交渉することができた。反対に、中国国内における移動労働者として働くものは農民出身者が多い。彼らは中国籍で、国民の同胞でありながら、働く都会地域には永住出来ない (Solinger, 1999)。最近、移動労働者の福祉的配慮が改善されてきたものの、都会の住民と比べて処遇が違う。さらに、グループとしてのアイデンティティが形成されていないので、団結しにくい。
たとい国籍を獲得しても人権が保証できない場合もある。これを象徴するのは、太平洋戦争時に、日系アメリカ人が強制収容された歴史である。この差別は上記にある(5)で、国防に関する危機が認識されると差別する、いわゆる身近な恐怖 the terror withinである。2001年9月11日に起きた多発テロ事件から十年たっている。当初は、アラブ系イスラム教徒が、racial profiling のような先入的犯罪者扱いを、アメリカを始め、多くの国で実施された。アメリカ軍は、アフガニスタンやイラクに侵入し、長い戦争に巻き込まれてにもかかわらずテロイズムがなかなかなくならない。また、英国等で見られるテロリストは、遠くから来た外国人ではなく、身近に住む同胞である。
9・11十周年の前日、読売新聞の英字版 The Daily Yomiuri を開くと 朝鮮学校の高等学校授業料無償除外の問題が取り上げられていた。背景は、管総理大臣が辞任する直前に、朝鮮学校の無償対象を検討するように指示した。そこでThe Daily Yomiuri は、反対する記事を載せた。新聞は朝鮮学校を、pro-Pyongyang schools と訳している。「朝鮮学校」と比べて過激的なスタンスを取った英訳である。そして、学校と朝鮮人民共和国との関係を、”closely linked” や “under the influence of” 等の表現を加え、恐怖的な印象を立てている。さらに、 朝鮮学校の高等学校授業料無償化は、共和国が拉致問題や島攻撃行為の改善を条件にしている。被害者は誰なのかと言うと、共和国ではない。被害者は在日コリアンの子どもである。柳美佐先生の講演にあったように、朝鮮学校の一貫教育から、多く学ぶところがあって、とくに2言語使用の問題に直面している日本の教育は朝鮮学校をののしる対象にしてはいけないと思う。

以上の思いめぐらしにより、ようやく田中先生が言われた差別が理解できていないことがわかった。 高等学校授業料無償除外 の問題が身近な恐怖による差別であるとたどり着いた。できれば、他の人たちには私より素早く理解することを望む。ただ、これを通して様々な関係性を研究する必要性を新たに感じた。またその関係性を研究する過程の中にぜひ視野の広い比較も含めていただきたい。

参考文献
朴仁哲(2007)。「満州国」における「五族協和」の理念と朝鮮人移民。多文化関係学会2007年度代7回年次大会抄録集(pp.78-81)。
関西共同ニュースNo53。・2010年に1991年、1965年を重ねるとー「朝鮮学校外し」「朝鮮学校除外」を評すー【定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク・共同代表】、 http://www17.plala.or.jp/kyodo/news53_6.html (2011-9-10)。 Fage, J. D. (1978). A history of Africa. London: Huchinson
Gandhi, M. K. (1957/1993). An autobiography: The story of my experiments with truth, (M. Desai, Trans.). Boston: Beacon Press.
Solinger, D. J. (1999). Contesting citizenship in urban China: Peasant migrants, the state, and the logic of the market. Berkeley, CA: University of California Press.
Unclear why pro-Pyongyang schools should be free. The Daily Yomiuri (September 10, 2011) p. 2.
Watt, L. (2009). When empire comes home: Repatriation and reintegration in post-war Japan. Cambridge, MA: Harvard.
文責:John E. Ingulsrud 殷約翰(明星大学)

話題提供者(2): 柳美佐 (京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程院生)
タイトル: 「在日朝鮮学校児童の継承語習得過程-初級部3年生の二言語作文から見えてくるもの(中間報告)-」Heritage language acquisition process of the Korean ethnic schools’ students-An exploratory research on the elementary school students’ compositions in Korean and Japanese (progress report)-

柳美佐氏の発表の直前に話題提供をおこなった田中宏氏がいみじくも指摘されたように、日本の研究者の多くは、海外の研究動向を追うことには熱心であっても、日本国内のローカルな問題については必ずしも十分に関心を寄せてこなかった。その意味では、「バイリンガル教育」や「イマ―ジョン教育」に関する研究についても同様のことが見られ、中華学校や韓国・朝鮮学校に関わる研究は、これまで十分に行われてきたとは言えない。
柳氏が本話題提供において発表された在日朝鮮学校児童の継承語習得過程に関わる研究は、日本国内の最大のイマ―ジョン教育機関である朝鮮学校を真正面から取り上げたこれまでにない研究で、大変興味深いものであった。具体的には、8か月(2008年4月から11月にかけて)にわたる小学校1年生クラスでの参与観察に基づき、朝鮮語イマ―ジョン教育に関わる豊富な事象報告に加えて、継承語教育としての朝鮮語教育が持つ民族アイデンティティとの関わり、朝鮮大学校を頂点とする朝鮮学校がシステムとして新たな朝鮮語イマ―ジョン教育の指導者を養成する機関ともなっている点など、これまで取り上げられることのなかった多くの情報を提供する示唆に富む発表であった。
今回の発表は「中間報告」という形でおこなわれたので、引き続き多くの成果が期待されることから、今後の研究の進展にも注目していきたい。
文責:守﨑誠一(神戸市外国語大学)


2011年3月3日(土)13:00~17:30

九州地区研究会
会場: 九州大学・伊都キャンパス比文・言文教育研究棟第8ゼミ室

テーマ:「社会構成主義版グラウンデッド・セオリー」研究法ワークショップ

話題提供者:平山修平氏(青山学院大学)

多文化関係学会九州地区研究会では、今回「社会構成主義版グラウンデッドセオリー研究法:CGTA」のワークショップが行われました。全部で25名ほどの学生と外部の研究者の方が参加しました。「グラウンデッドセオリー」とは、グレイザーとストラウスの『データ対話型理論の発見』の中で、データに根差した研究から理論を生成することとされています。今回のワークショップでの「社会構成主義版」はグレイザーとストラウスに直接師事したシャーマズにより、グラウンデッドセオリーアプローチをさらに発展させたものとなっているとのことでした。
具体的な特徴として、「シンプルで柔軟なガイドライン」「データ収集と分析が並行して行われる」が挙げられており、以下の手順と注意点が提示されました。
1 データを収集する
2 ある場面から得られたコードを、他の似たような場面にも適用できるか検討する
3 コードの抽象度をあげ、広範囲のデータを説明する中心的カテゴリー(概念)を作り上げる
4 創発しつつあるカテゴリーが不完全だとわかったら、分析を中断してデータ収集を行なう
このことを踏まえて、グループに分かれ、実際のインタビューデータを使いグラウンデッドセオリーを生成するまでの作業をしました。作業の段階は:行ごとのコード化→行ごとコードを比較・分類、焦点化されたコードを生成→焦点化されたコードを比較・分類し、カテゴリーを生成→メモ書き→カテゴリー間関係の考察→全体プロセスを解釈し名前をつける→最終的にグラウンデッドセオリーの生成となります。
途中、各グループの代表者がコード化、カテゴリー、メモ書きの発表をしていきました。各グループのそれぞれに違う分析結果を聞いて会場も盛り上がりました。各グループの分析をひととおり聞いた後で、平山先生の解説と解釈がありましたが、それを聞いて、より考え抜かれた解釈に、なるほどそのようにするのかと会場も感心した様子でした。
このワークショップ前にGTAについて本を何冊か読んでいたのですが、私個人の感想としましては、本を何冊も読むよりも、1回のワークショップの方がGTAについては理解が深まるのでないかと思いました。本だけの理解で研究をやろうとすると自己流になりがちです。したがって、GTAについては、本を読んで、もちろん基礎的なことは事前に押さえておくことは大事ですが、ワークショップに参加すると、その方法について道筋をふみはずすことなく理解できるのではないかと思います。また、M-GTAなど、GTAについてはいくつかバージョンがありますが、CGTAもM-GTAも本質的なものは同じで、そう大きく変わらないと講師の平山先生はおっしゃっていました。これから、インタビューデータなどを用いて質的研究を進めたい学生や研究者にとって大変有意義なワークショップになったのではないかと思います。
文責:福元千秋(九州大学大学院比較社会文化学府院生)


2月20日(日)14:00~17:00

関西・中部地区研究会
場所: 龍谷大学 大阪梅田キャンパス
テーマ:「対人コミュニケーションにおける自己開示、自己提示」
私たちは日常的な他者との相互作用において、自分自身の欲求や感情のおもむくままに発言したり、行動したりしているわけでなく、常に他者の目を意識して自分自身の表出行動を観察し、その社会的適切性を判断してコントロールしています。今回の研究会では、中川氏、守崎氏から自己提示や自己開示をテーマに、日韓のビジネスパーソンのコミュニケーション比較分析や自己開示の概念化について学習する機会となりました。報告概要は以下です。

報告提供者:中川典子(Noriko Nakagawa)(流通科学大学・サービス産業学部)
表題:「日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネスパーソンの自己開示に関する比較文化的研究」(Cross-cultural Study between Japanese and Korean Business People on Self-disclosure)
プロフィール:流通科学大学サービス産業学部観光・生活文化事業学科教授。米国ポートランド州立大学大学院スピーチ・コミュニケーション学科修士(MA)。関西学院大学社会学研究科社会学専攻(博士)。専門は異文化コミュニケーション、対人コミュニケーション、異文化心理学。著書に「異文化シミュレーション、バーンガ(Barnga)を通じて異文化接触を擬似体験するー気づきから行動変容へ」『人間関係のゲーミングシミュレーションー共生への道を模索する』北大路書房(2007)、Instructor’s Manual and Test Bank (IMTB) for Culture and Psychology, Wadsworth Public Co., 2008、等。
概要:
本発表は、比較文化心理学的視点から、日本と韓国のビジネスパーソンの自己開示という対人行動における類似点と相違点を、開示者と開示相手との職場の地位に反映された関係性、および、自己開示の場としての酒席という2つの状況要因に着目しつつ、探索した発表だった。
発表の構成は4つの研究、すなわち、研究1:日本人ビジネスパーソンを対象にした自己開示調査-開示相手の職場の地位、開示の場、開示者の年代差の観点から-、研究2:日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネパーソンを対象にした自己開示に関する量的調査(1)-開示相手の職場における地位、開示の場としての酒席、および自己開示の話題の観点から-、研究3:日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネスパーソンの自己開示に関する量的調査(2)-対象者にとって自己開示、仕事仲間との会話、酒席がもつ意味-、研究4:日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネスパーソンの自己開示に関する質的調査からなっていた。
研究1は、1995年4月に発表者が行ったアンケート調査に、研究2と3は、1998年4月から11月に日本の関西圏とソウルで行ったアンケート調査に、研究4は2004年6月から2005年2月に日本の関西圏とソウルで行ったアンケート調査に基づく分析であるというように、発表は発表者が長年にわたり蓄積した研究の総括であり、その凝縮度は発表時間内では消化しきれないほどだったが、先行研究を踏まえ反省を加えた問題設定や、これまで、集団主義的な「アジア人」というカテゴリーで括られてきた日本人と韓国人に対し、「その微妙かつ重要な社会行動における類似点と相違点」を明らかにしようというチャレンジは極めて興味深いものだった。
全体を通して、「話題:趣味・嗜好、仕事、人格、家族、身体、社会問題、金銭」や、部下、同僚、上司といった開示相手の職場における地位、酒席、開示相手の年代などが、自己開示傾向に影響を与えることが示され、日本人が確かに「飲みニュケーション」していること、日韓において共に酒席では広範な話題において自己開示度が高いことが実証された。
発表では各アンケート調査やインタビュー調査の結果が詳細に分析され、日韓の共通点や相違点が示されたが、共通点において、特に印象深かったのは、日韓共に「タテ」意識の強い伝統的価値観が崩れつつあるのではないかという指摘である。
相違点としては、韓国人は社会問題に対する関心度と自己を明確に表現することを好む傾向にあること、金銭に対する態度の相違、日本人が、より自分を語るという行為において対人志向的、場依存的傾向が強く高コンテキストであるのに対し、韓国人はより言語への依存度が高く、日本に比べ低コンテキストである可能性の指摘が興味深かった。
筆者の研究地域は中国であり、中国に置き換えて見るとどうなるのか考えさせられることも多く、本発表から多くの示唆を受けることができた。
文責:神田外語大学 花澤 聖子

報告提供者: 守﨑 誠一 (Seiichi Morisaki) 神戸市外国語大学
表題:「自己呈示に関わる比較文化研究」(Cross-Cultural Studies of Self-Presentation)
プロフィール:神戸市外国語大学外国語学部国際関係学科准教授。University of Kentucky: College of Communications and Information Studies修了(Ph.D.)専門は異文化間コミュニケーション学。
概要:
守﨑先生は、当日お風邪を召されており、「今回の発表はわかりにくいかもしれないが、風邪なのでご容赦願いたい」とのご挨拶から本発表は、始まった。実はこれがご発表のテーマである自己呈示の方法のひとつで、具体例を持って参加者の心をぐっと掴み守﨑ワールドである自己呈示に関する文化比較研究の難しさと面白さに引き込まれた感じであった。
自己呈示について実証的に日米比較するには、自己呈示の概念を明確にするだけでなく、文化比較研究にともなう種々の注意点に留意する必要がある。それを先生ご自身のご研究の知見を踏まえて解説していただいた。その際に特にいくつかの仮説を立て、その仮説が立証できなかった事例を取り上げ、「なぜか」と参加者に問いながら説明されたのが印象的であった。すでに分かっていることを簡潔に教えてもらうのではなく、先生ご自身の試行錯誤の経緯を一緒に追うことで、研究アプローチそのものも理解できる講演であった。
(文責:関西大学 久保田真弓)




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