2008年 活動内容

2008年12月13日 中国・四国地区研究会報告

場所: 伊予市生涯研修センター「さざなみ館」

話題提供者(1): 宮脇和人(愛媛大学大学院)
「伊予市のびっくり鯨騒動と鯨塚」

話題提供者(2):西浦慎介・都子大雅・大塚秀一(愛媛大学学生)
紙芝居「くじらのはか」、くじらクイズ、「西海地域における鯨塚と鯨文化」

日本列島には、各地に鯨塚が残されている。今回の中国・四国地区研究会は、鯨塚がある伊予市湊町で実施した。文化的資源として、鯨塚を再確認し、研究発表後に、湊神社にある鯨塚を見学し、鯨肉の試食会もおこなった。地元の小学生を招待し、紙芝居によって、鯨塚がどのような理由で建てられたのかという点をわかりやすく説明した。小学生を中心にほぼ60名の参加があった。
前半は、宮脇が「伊予市のびっくり鯨騒動と鯨塚」というテーマで、1909年に伊予郡中沖にやってきた巨大鯨の大捕り物と鯨塚建立の経緯について説明した。宮脇は、地元の古老から、詳しく聞き取った内容を忠実に子供たちに伝えた。子供たちの幾人かは、次の世代に、宮脇から聞いた話を伝えていくであろう。言い伝えが伝承されていくプロセスを実感することができた。ちなみに今回、宮脇が報告した部分は、宮脇・細川著「鯨塚からみえてくる日本人の心」(農林統計出版、2008年)の第4章に相当する。宮脇は、話のポイントを次の3点にまとめた。①伊予市の鯨騒動で、郡中の若者たちが捕った鯨は、コク鯨であった。このコククジラは瀬戸内海で生まれたものかもしれない。②下関の捕鯨会社から来た男と、郡中の若者たちが協力したおかげで、鯨をしとめることができた。③地域の人々は、捕った鯨資源を利用したあと、お寺と神社の両方で手厚く鯨をまつった。
後半は、西浦、都子、大塚らが、紙芝居「くじらのはか」、クジラクイズ、パネル展示によって、鯨文化、鯨の基礎的知識について、子供たちにわかりやすく、説明した。紙芝居は、学生たちが自ら創作した。15の場面設定で、絵と台詞をみんなで議論して作成した。ほんのさわりの部分を紹介しよう。「むかしむかいし、魚がとれなくて困っていた漁村がありました。きびしい冬を目前にひかえた、村びとの生活はとても苦しいものでした。ある朝、村びとが1頭の鯨を見つけます。そして・・・」。終わったあと、会場から大きな拍手がおこりました。紙芝居をみて、子供たちは、何かを感じ取ったようでした。学生らは、鯨塚を建てるという行為を紙芝居のストーリーに仕立てて、子供たちに、「自然物にたいする畏敬の念」「いただきますの感謝の念」をわかりやすく伝えようとした。彼らのメッセージが子供たちに十分伝わった。なお、研究会の内容については、愛媛新聞と読売新聞が後日、報道してくれた。

文責: 細川隆雄(愛媛大学)


2008年9月13日(土) 九州地区研究会報告

会場: 九州大学 六本松地区キャンパス

話題提供は2件の話題提供者によって行われた。1件は、韓国人と日本人のコミュニケーション距離の理解について、各文化間でスキンシップの許容度を比較し、日韓の異文化理解を促進する目的で、明確なデータ分析のもとに話題が提供された。それに対しもう1件は、日本人の「働き方研究所」の所長の紹介及び著書の紹介を経て、「日本人の働き方研究所」の趣旨、現在まで得られた結果を、働くことの意味を見つめ直すきっかけとして、様々な映像とともに話題提供がなされた。

第1部: 「コミュニケーション距離と異文化理解―スキンシップ許容度の日韓比較を中心に―」
話題提供者:
九州大学大学院言語文化研究院 曺 美庚氏

コミュニケーションにおけるスキンシップの許容度について、最もスキンシップの頻度が多いと考えられる大学生を対象にした日韓それぞれの数量データをもとに文化相違の提示が行われた。データは其々、同性・異性のカテゴリー、親・兄弟・親友、親しい先後輩、普通の友人、知り合い程度の人のカテゴリー、またスキンシップ上の露出度によって手、腕、肩などのカテゴリーに分類され、多面的な分析のもとに提示された。また、実例としての映像や写真が具体的な例として示された結果、どのカテゴリーにおいても、日本人のスキンシップは、韓国人に比べて、自然に許容できる傾向が低いことがわかった。
質疑応答(例)
Q:年齢や性別の相違があっても、韓国ではスキンシップが許容されるのか。
A:韓国でもやはり、目上の人でかつ異性間でのスキンシップは、消極的になる。
Q:日本のデータで、幼少からスキンシップが激減しているのを見ると、育児のやり方そのものが変わってきたのか。また、韓国と異なったやり方であるのか。
A:データでの証明はされていないが、日本では昔に比べるとスキンシップが減少したという話をよく聞く。それはしばしば、戦後の「大人になる教育」が変化したからではないかといわれるが、きっかけはまだ不明である。また、韓国では、スキンシップと成熟度を関連させた教育は、日本ほどなされていないので、大人になってもスキンシップをすることは不自然なことではない、と考えられている。

第2部: 「臨床心理地域援助の現状と課題―日本人の『働き方研究』―」
話題提供者:
九州大学 留学生センター 高松里氏

留学生センターのカウンセラーである話題提供者の紹介や、著作を紹介しながら、自身の活動内容が紹介され、話題提供者が病気の誤診を機会に考えた「働き方」について、「働き方研究所」の趣旨とともに報告がなされた。体験談や写真、生き方についての引用句を用い、さらに「悪魔の言葉シリーズ」や「バーンアウト」のプロセスなど、現在の生活について、多様に考察するきっかけが提供された報告であった。
質疑応答(例)
Q:「働き方研究所」は誰でも入れるのか。
A:所長に参加の旨を伝え、登録をすれば誰でも会員になれる。
Q:「バーンアウト」の予防法はあるか。どのようなことをすればよいか。
A:予防法は人や状況によって様々だが、「ことばに表すことが出来ない不安」であっても、似たような境遇の人や、話を聞いてくれる場所を持っておくことが出来れば、不安が緩和されることが多い。また、周囲にそのような人を見つけても、周囲の人が倒れるのを予防することは難しいが、後遺症を考えると、出来れば早い段階で自分の振る舞いについて考えるきっかけを持つのが望ましい。
今回、多文化関係学会の研究会には初めて参加させていただいた。形式は、普段の学会と同様に発表者の報告、質疑応答という内容だったにも関わらず、質問や意見が自由にやり取りできる研究会の雰囲気が、とても心地良く感じた。また、参加されている方それぞれの異文化体験や、異文化に対する視点や考え方を身近に感じ、それについて意見交換をする場として、貴重な議論の場であった。

文責:合澤由夏(九州大学院生)


2008年7月26日(土) 関東地区研究会・ホラロジーの会

場所: 青山学院大学

関東地区研究会: 「多文化組織における日本人リーダーのコミュニケーション行動:フォロワーの視点に対するライフストーリー・インタビューを中心にして」
話題提供者:
石黒武人氏(明海大学外国語学部英米語学科専任講師)

今回の関東地区研究会は、ホラロジーの会とのジョイントという形で実施され、非常に活発な議論が展開された。以下に石黒武人先生の研究発表の概要と感想を述べる。石黒氏の発表は、研究テーマ、研究目的、研究方法、調査結果・考察、説明モデルの提示、研究の評価・限界及び今後の課題という段取りを踏み、非常に論理的かつ丁寧に進められた。本研究は、多文化組織における日本人リーダーのコミュニケーション行動の傾向性を、英会話学校・英語学校という場を用い、異文化出身フォロワーの視点から検証された質的研究である。研究方法は、フォロワーの認識世界に接近するという観点から対話的構築主義に基づいたライフストーリー・インタビューが適用されている。この研究方法は、個人の語りを記述し、語りにおける解釈の規則を明らかにする性質がある。結果、フォロワーの視点からすると、日本人リーダーのコミュニケーション行動が異文化出身フォロワーとの分離を助長する傾向があると提示された。石黒氏は、これらのコミュニケーション行動は、異文化出身フォロワーの日本人リーダーに対する「違和感」と「不信感」を誘発し、その関係性に落差と深刻なコミュニケーションギャップが存在するとも指摘された。  本研究は、健全な理論的枠組みに裏打ちされた質の高いものであるが、私自身は、先ず石黒氏の研究者としての真摯な姿勢と熱意ある語り口に非常に感銘を受けた。本研究のような人の認識世界を研究データとして扱う場合、研究者の自分を見つめる批判的視線だけでなく、地道で丁寧な分析作業が必須になると思われる。石黒氏の分厚い研究資料と発表の背後にある長い努力を垣間見ながら、彼の研究者としての高い資質を感じ、私自身非常に刺激を受けた。また、研究内容、研究方法、研究アプローチなどに関する多様な質問とコメントが参加者と交わされたことも、知的好奇心を刺激する質の高い発表であったことを物語っていた。
文責: 坂井二郎(立教大学)

ホラロジーの会:多元化する医療と多文化化する医療:医療におけるコミュニケーションの問題の批判的再考
話題提供者:
岡部大祐氏(青山学院大学国際コミュニケーション専攻博士後期課程/同大学総合研究所特別研究員)

患者として、研究者として、医療でのコミュニケーションの問題にどう向き合うか――。この日の話題は、“研究対象との距離”という微妙で、かつ基本的な問題を軸に展開された。
開口一番、「研究会というなかば公開の場で体験を発表することは、個人的にはリスクを伴う実験的な試みでもある」と語った岡部氏。医療現場に身を置く患者の目線を基本に据えながら、1)言葉の視点、2)文化の視点、3)社会の視点から医療におけるコミュニケーションの問題についての考察を披露した。
例えば、1)言葉の視点に関しては、抗がん剤による苦しい治療過程で発せられた看護婦からの一人称単数の慰めの言葉(「私も祈りますから・・・」)の効果が、一人称複数(「私たちも祈りますから・・・」)といかに異なるのかに気付き、言語に焦点を当てる重要性を感じたという。また、3)社会の視点からは、「医療」は社会的構成物として、社会的な文脈の中で再定義されるべきだと強調した。医療が社会的であることを踏まえ、患者は批判されにくいのに医療現場に対しては一方的な批判が起きやすい現象を紹介しながら、医療現場と研究者とが協力しながら理論構築することへの期待も示した。
「研究者」としての立場、「当事者」としての立場にどう向き合うべきかというテーマだけに、フロアーからも参加者自身の経験を踏まえたコメントや質問が多く出されたが、岡部氏本人はこう答えている。「当事者としての経験は避けられない。でも、それを前面に出した関わり方はしない」。
紹介された3つの視点はいずれも興味深かったが、個人的には1)の「言葉の視点」が最も印象的だった。蒲柳の質ゆえに、留学・出張・旅行先でたびたび短期の患者として現地の医療行為を受けた体験からも、言語の視点から考えるべき問題がまだ潜んでいるように感じられるためである。
文責: 可部繁三郎(青山学院大学)


2008年7月12日(土) 2008年度 北海道・東北地区研究会報告

北海道・東北地区研究会委員長
伊藤明美(藤女子大学)

去る7月12日に北海道・東北地区研究会が藤女子大学キリスト教文化研究所とのジョイントで開催された。第一部は渡辺崇子氏が「津田梅子による女子高等教育開拓―新渡戸稲造と妻メリーとの接点に着目して―」、第二部は柊暁生氏が「『赦す』ということ」をテーマにそれぞれ報告した。
渡辺氏は、津田梅子による女子高等教育の開拓は二つの方向性を持っており、それらは米国に留学生を送りだすこと、そして自らが学校を設立して女子教育を行うことであったと述べ、その教育開拓には新渡戸稲造および敬虔なクエーカー教徒であったその妻メリーをはじめフィラデルフィア在住のクエーカーの人びとの人的・精神的・経済的援助があったことを明らかにした。
また、聖書学の専門家である柊氏は、ハンムラビ法典、旧約聖書および新約聖書からの詳細な資料を示しながら、「赦し」は聖書にどのように表現されているのかについて報告した。聖書に書かれた復讐や赦しに関わるたとえ話の解釈を通じ「赦し」はイエスの教えの中心にあるということ、また、聖書では数(特に7)を使ったたとえ話が用いられるが、7がキリスト教文化にとって重要な数であると共に、「罪」は「負債(借金)」と考えられていることなどが示された。赦すという行為は自分にとって否定的と思える他者の行為(事実)をどのように解釈するかが問われており、それは「理性を超えるもの」という柊氏のまとめのことばが強く印象に残った。
両報告ともに質疑応答が活発に行われ、学部生・大学院生を含めた40名あまりの参加者にとって知的刺激にあふれた研究会となった。懇親会にも7名の参加を得て、会員・非会員を問わず楽しく充実感のある交流ができたように思う。


2008年7月5日(土)

関西・中部地区合同研究会報告 (関西地区第9回研究会報告)

場所: 関西学院大学 大阪梅田キャンパス
テーマ: 「異文化における日本人のコミュニケーション行動を探る」
参加人数:  11名

第1部:「オーストラリア・カウラ捕虜収容所日本兵脱走事件: 日本人のコミュニケーション特性からの考察」
話題提供者(1):柳本麻美氏(桃山学院大学)

本発表は、1944年8月5日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州カウラにあった戦争捕虜収容所で発生した、日本兵捕虜による集団脱走自決事件について、日本人の行動の要素の点から考察したものである。柳本氏はこの事件について修士論文で扱ったことがあり、今回は執筆時には気づかなかった問題点などについても、再度考えを深めてみたいとのことであった。
戦時中カウラに設けられた捕虜収容所では、中で区切られた地区別に各国の捕虜を収容しており、日本人捕虜は42の班に分けられていた。そんな折、別の収容所での暴動を機に、捕虜の一部を別の収容所に移すことが通告された。その後すぐ行われた班長会議ではそれに反対する意見はそんなに多くなかったのだが、1人の班長が脱走を持ちかけたときに状況が一変する。その意見が元となって班員による投票が行われたが、その結果、脱走に賛成したのが8割に上ったのである。すぐに計画が練られ、当日の深夜に実行された。彼らの目的は脱走そのものではなく、武器のない収容所から脱走して自決することであり、結局死者234名、負傷者108名を出した。
柳本氏の疑問は、(1)行動に関わる要素は、戦陣訓の他にも、日本人の特性、捕虜収容所という場所における偽りの身分関係、建前と本音の併存、オーストラリアでの異文化衝突など色々考えられるが、それらがどう絡み合ってこのような行動に結びついたのかということ、(2)当初それほど多くの捕虜が脱走に賛成していたわけではなかったのに、たった1人の班長の意見を契機に突如賛成に転じ、死へと向かうだけの脱走計画に参加したのはなぜなのかということ、(3)このような日本人捕虜の行動については、「生きて虜囚の辱めを受けず、云々」という戦陣訓に基づく説明がされやすいが、海軍兵が最初に収容され、後に陸軍兵が収容されるようになったカウラにおいては、必ずしも最初から日本兵捕虜が脱走を計画していたわけではなかったのに、このような事態に至ったのはなぜなのか、といった点に向けられていたようである。
質疑応答では、日本兵が取った突拍子もない行動に注目が集まり、その行動を引き出した日本人の特性について議論が交わされた。その中で、日本人には普段は温厚であるが、切羽詰まった時には突拍子もない行動を取る特徴があり、そのことについての検討が必要なのではないかという意見が出された。この事件については、興味を持っている人も多く、また研究会の3日後にカウラの事件を扱ったドラマが放送されるということもあり、質疑応答は盛り上がりを見せた。
文責: 西端大輔(大阪大学・院)

第2部:「デュッセルドルフの日本人社会の調査をはじめて」
話題提供者(2):中川慎二(関西学院大学)

中川氏は、ドイツの在留邦人の多くが集住しているデュッセルドルフを拠点に、在住日本人への面接によるライフヒストリーの語りを中心に、参与観察や、文献調査をもとに、ドイツにおける日本人社会と現地社会とのかかわりを描き出すための調査を行っており、その研究について報告された。
デュッセルドルフには、ドイツ全体の日本人の22.8%、7681人が集住しており、日本クラブの個人会員は約5000人という規模で、駐在員とその家族からなる日本人社会が、現地に住み着いた日本人との一定の関係を保ちながら存在している。これほど集住するのは、日本人のためのインフラとして必要とされる組織が揃っているためであり、その中心に「在ドイツ日本商工会議所、日本クラブ、日本人学校」が位置している。ちなみに日本人学校はヨーロッパで最大規模である。いわゆる「本住まい」の意識の強い労働移民からなる日本人社会と違って、駐在員は3年から6年程度で異動になるケースが多いために、デュッセルドルフでも「仮住まい」の意識が強いという。面接をした駐在員の多くは日本人コミュニティへの意識が強く、ドイツ社会と交わる接点は限られているという。
また、広義に捉えた現在のデュッセルドルフ周辺の日本人社会は構成メンバーの高齢化と若齢化の問題を抱えている。高齢化は、戦後ドイツに労働力として派遣された人、駐在員としてドイツに渡った後に住み着いた人たちが70歳代から80歳代になっていることから起こっている現象で、現在では高齢者介護を目的とした日本人のグループがドイツ国内で活動している。弱齢化は、駐在員の子供たちの年齢層が低くなってきており、中学・高校の年齢から幼稚園・小学校にその中心が移動してきていることである。中川氏によると、彼らの日本人コミュニティとの関係の持ち方は、(A)どちらかというと日本人コミュニティに暮らしている、(B)どちらかというとドイツ人コミュニティに暮らしている、(C)どちらの空間も行き来している(ハイブリッド)、(D)高齢化してハイブリッドになりつつある、という4つのタイプに分類される(仮説)という。
今後、さらに詳細な分析が行われるということで、報告の続編が期待される。このような海外の在留邦人の分析を通して、日本に在住する外国人のコミュニティの日本社会との関係性や彼らの日本社会への帰属意識の多面性の問題を理解するための重要な枠組みが提示されるのではないかと思う。
文責: 松田陽子(兵庫県立大学)


2008年3月29日(土)九州地区研究会

九州大学六本松地区キャンパスにて開催

第1部:「海外で働く日本人日本語教師の文化的調整のプロセス―教育現場における異文化接触の事例を中心に―」
話題提供者:
古谷 真希氏 (九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程2年。日本語教育、異文化コミュニケーション)

本発表では、質問紙調査における事例をもとに、海外で働く日本人日本語教師と学習者の間の異文化接触上の問題点について議論されたが、それに先立ち、議論の中心となる文化的調整の概念が紹介された。文化的調整とは、異文化接触の際に問題となる概念である。従来は異文化適応という用語が用いられる場合が多いが、異文化適応には、個人の心の問題であり、自分の文化を捨てて相手の文化を受け入れれば解決される問題であるという含みがある。それに対し文化的調整は、相手とのやり取りを調整し、自文化と異文化との融合を目指すというものである。  文化的調整を行う際は、カルチャーショックと不確実性が問題となる。不確実性とは、異文化と接した際にどういう事態が起こるか分からないことで、目的に達するための手段や意図した行為から得るであろう結果を知らないことである。そして、カルチャーショックとは不確実な状態によって引き起こされるストレス反応である。これらを確認した後、海外で働く日本人日本語教師は、滞在国文科を取り入れつつも、日本人のサンプルとして自文化を保持し、学習者に提示する必要があるため、より複雑な調整過程を辿るのではないかという問題提起がなされ、3名の日本語教師から得られた事例が紹介された。  事例は、カルチャーショックの要因ごとに①教室内外のルールの違い、規範意識の違い②学習者の予想外の反応・態度③政治上の問題、の3つに分類され、学習者との具体的なやり取りに関する記述をもとに、文化的調整の過程が分析された。そこでは、学習者との共通意識を構築していくことの重要性や、教師の持つビリーフ(信念)が学習者との関係を阻害する要因となる可能性があることなどが指摘された。  発表後は、参加者による異文化接触の事例の紹介や、日本語教師に対する異文化間コミュニケーション教育への展開の可能性についての議論が行われ、日本の学校教育における教師-生徒間の問題にも示唆が与えられるのではないか、と言及された。

第2部:「日常会話」とは何か?-異文化コミュニケーションの視点から」
話題提供者:
畠山 均氏(長崎純心大学人間心理学科。対人コミュニケーション、異文化コミュニケーション、英語教育)

本発表では、主に中学校における英語教育を題材に、「日常会話」とは何か、外国語の日常会話とは「ぐらい」や「程度」という表現をつけて言えるほど簡単なものなのか、という問題提起のもと、異文化コミュニケーションの視点から「日常会話」についての再考が行われた。
まず、中学校での英語教育の位置付けとして、学習指導要領や教科書の内容などが紹介された。学習指導要領では「コミュニケーション能力」の育成が重視されており、英語で日常的な会話や簡単な情報の交換ができるような基礎的・実践的なコミュニケーション能力を養うという方針が示されているが、実際授業で使用されている教科書では構文的には難しい対話文が導入され、授業時間数と内容量・質のミスマッチから、場面ごとの決り文句を覚えるだけで単元が終わってしまうという点が指摘された。
次に、会話そのものについての説明がなされ、会話は①挨拶②日常交渉③日常会話、の3種類に分類されることが紹介された。①は言葉の意味よりそれを交わすことが重要であること、②は「郵便局での会話」「駅での会話」のように、はっきりとした目的と明確な始まりと終わりがあること、③は「友人とのおしゃべり」のように、目的がはっきりせず始まりと終わりが不明確であること、が確認された。この分類によると、一般的に市販されている英語の教材は「日常交渉」が主であることが分かる。
続いて、異文化コミュニケーションの視点から会話の3分類について説明がなされ、異文化接触をする際にもっとも誤解を引き起こす可能性が高いのは③日常会話であることが指摘された。日常会話では、文化の違いが大きく影響する。例として、話題の選択や、相手に対する質問の質・量、論理の筋道の立て方、あいづちをうつ場所・回数、沈黙に対する認識などが、文化により大きく異なると指摘された。
最後に、日常会話は日常交渉と異なり文化の影響が大きいことが再確認された。日常会話には人間関係なども関わってくる。そのため「日常会話ぐらいできれば」と言えるほど簡単なものではないにもかかわらず、現在の学習指導要領はその点を考慮していない。このことは今後の日本の英語教育に深刻な影響を及ぼすのではないかという指摘がなされた。
発表後は、活発な質疑応答が行われた。外国語の日常会話を習得することの難しさや、教師として日常交渉から日常会話に引き上げるためには何をしたらいいのか、などについて参加者自身の経験等を交えながら議論が展開された。

今回は、遠路はるばる北海道から駆けつけてくださった参加者もあり、終始なごやかなムードで研究会が進行していきました。参加人数は多くありませんでしたが、参加者の一人ひとりが十分に議論に参加することができたため、非常に充実した研究会であったように思います。
文責:古谷真希(九州大学)


2008年3月15日(土)関東地区研究会・ホラロジー報告

3月15日(土)、青山学院大学にて関東地区研究会およびホラロジーの集いが持たれた。研究会では多文化関係学会初代会長の石井米雄先生(現在、人間文化研究機構長)をゲスト・スピーカーに迎え、多文化関係学とは何か、その可能性とこれからの展望について語っていただき、その後、ホラロジーの会で参加者を中心に活発な意見交換がなされた。
石井先生は、これからの多文化関係学の在り方として、複数の学問分野(ディシプリン)の研究者と問題意識を共有することが必要であると同時に、ディシプリンとはいわゆる道具にしか過ぎず、いかにこの道具を使って本質を概念化し、体系化するかこそが重要との見解を示された。ご専門のタイ文化研究に基づいた多くの興味深い例を紹介され、その深い知識と軽やかな語り口に参加者は時間が過ぎるのも忘れ聞き入った。
ホラロジーでは、参加者から石井先生のお話に対して質問が続出し、さらには多文化関係学が目指す方向とは何かについて様々な視点から意見が出され、非常に有意義な会となった。休憩時間には、お茶やお菓子、お汁粉がふるまわれなど、終始和やかな雰囲気であったことも、ベテラン、若手を問わず思いを語れる会となった一因であろう。
文責:灘光洋子


2008年3月7日(金) 関西地区研究会

デイサービス・ハナマダン東九条

「在日コリアン高齢者デイサービスへのフィールドワーク:デイサービス・ハナマダン東九条(NPO法人京都コリアン生活センター・エルファ)訪問」

「『ハナマダン』はハングルで『1つの広場』を意味する言葉で、『エルファ』はうれしい時や楽しい時にでる感嘆符なのです。悲しい時にでる『アイゴー』の反対語です」と、理事長である鄭禧淳氏の説明からフィールドワークは始まった。京都コリアン生活センター・エルファは、異国で苦労を重ねた同胞高齢者に穏やかな晩年を提供するために、「自分の生活史を持って生活できる場所」を京都の東九条――映画「パッチギ」の舞台となった地区――に設立された。1口500円の寄付を1400人(日本人も含めて)から集めた資金をもとにエレベーター付き2階建てのこぢんまりとしたバリアフリーの建物が、在日コリアン高齢者の方々が集まってくる広場となった。メンバーは曜日によって代わるが、毎日20数名が集まって、言葉に不自由を感じることなく、ハングルの歌やコリアン料理を満喫する数時間をここで過ごす。
金曜日にデイサービスに通ってこられる在日コリアン高齢者の方々と私達のためにリクリエーションを担当してくれたのは、コリア語と日本語ができるスタッフであった。ボールを投げ返しながら数を数えるゲームを全員で行った。「ハナ」「ニ」「スリー」と、コリア語、日本語、英語(異文化コミュニケーション学会会員のアメリカ人2名が参加したため)の3ヶ国語を交えての交流は、在日コリアン高齢者の方々には少し複雑であったようであったが、笑顔と笑いは途切れることはなかった。2つのチームに分かれてボールを運ぶ競争では、負けたチームが「アリラン」を歌い、勝ったチームもその歌に合わせて踊った。最後には、自然に隣同士がお互いに手をつなぎあい、アリランの大合唱となった。「エルファは、このような時に自然に出てくる感嘆符なのだなー」と実感したのは、参加者の中でも私だけではなかったと思う。最後には、一人ひとり手を取り合いながら、「元気でね」「また会いましょう」と言葉を交わした。
「昔の苦しいことを忘れて、今日いっぱい楽しめて、明日目が開かなかったらいい」「エルファの歌で逝くから」という在日コリアン高齢者の方々の言葉には、異国で老いを迎える人々のアイゴーの気持ちが込められている。それだからこそ、「私達のことを知って欲しい」と、私達を含め多くの訪問者との交流を深めようとしているエルファの在日コリアン高齢者の方々の姿勢に、多文化関係学を学ぶ者として畏敬の念を覚えた。
文責:金本伊津子(桃山学院大学)




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