学会の活動記録

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2011年
8月6日(土) 北海道・東北地区研究会報告
 北海道東北地区研究会では、2011年8月6日(土)、「異文化接触再考:ミクロとマクロの視点から」というテーマのもと、2名の先生方による発表とフロアを含めた討議が行われた。
 まず、最初の話題提供者である、青森公立大学の山本志都氏は、「異文化接触における相互作用を学習体験化するコミュニケーションを考える」というタイトルで発表された。同氏は、まず、異文化間能力についての研究においては、必要な知識や能力がいかに学習されるかという学習過程そのものを概念化するような研究は比較的軽視されてきたという問題点を指摘された。また、現在まで支配的となっている、「何がどのように学習されるか」といった細分化による分析法から脱し、「異文化接触が学習過程そのものである」という統合的視野から研究を進める必要性を論じられた。さらに、自身が外国人国際交流員(CIR)と共に働く人々を対象として行った研究例をもとに、「配慮型アサーション」「情報更新による調整」「異文化情報の収集」「自文化情報の発信」「初心者フォロー」「非公式的な場の活用」「親密化」などが異文化間の学習を促進する方略として使われていたことを明らかにした上で、最後に、異文化接触の体験を学習機会として最大限活用することができるようなコミュニケーションの探求をさらに進めていく重要性について指摘された。
 発表を通して、まず実際の異文化接触を「学習機会」として捉える視点は大変興味深いものだと感じられた。多文化化が進む日本社会においては、このような視点から進められる研究に対する必要性は益々高くなることが予想されよう。今後、本研究から導き出された各方略と外国人の視点からの異文化能力との関連性の探求など、異文化間能力の解明につながる研究の進展の必要性を強く感じた次第である。
 2人目の話題提供者である、兵庫県立大学の松田陽子氏は、「オーストラリアにおける多文化主義政策の課題と可能性」について発表された。発表ではまず、多文化・多言語社会オーストラリアの現状と、「多文化主義」政策の概説から始まり、その後白豪主義から多文化主義への政策転換に関しては、その理念や、背後に潜むさまざまな国内外の要因に対する分析などを交えながらわかりやすく解説された。また、その変容に関しては、市民社会からのボトムアップ及び、政府のトップダウンの力、国内の社会・経済・文化的要因、国際環境要因の各観点から詳細に考察された。さらに、現時点では、多文化主義の柱である「多文化の尊重、社会的公正、経済効率化」の三つの観点をめぐりさまざまな葛藤や批判があり、それらの課題に対する解決策の模索が続いていることを指摘された。最後に、これらの議論を踏まえ、多文化共社会に向けて日本が直面している課題について議論された。
 オーストラリアの多文化主義についての背景景色が薄い筆者のような人間にも大変わかりやすい発表であった。1時間という短時間で複雑な問題の全容が把握できたような錯覚に陥るほど明快に解説して頂き、知的満足を味わうことができた。しかしながら、日本という土壌に多文化主義は根付くのだろうかと考えた瞬間、あまりに大きな課題に暗澹とした気分にならざるを得なかった。今後、多文化関係の研究者に求められているのは個々人の方法で実際の社会にかかわり、行動し、意見するという積極的な姿勢ではないかと強く感じさせられた。
 当日は、こじんまりとした和やかな雰囲気の中、二名の話題提供者を迎え、参加者を交えて活発な質疑応答及び意見交換を行うことができた。遠路はるばるお越しくださった松田先生と山本先生はじめ、熱心な参加者の皆さんのおかげで、研究会らしい非常に濃密なそして充実した数時間を過ごせたことは幸いである。ここに、研究者のお二人の先生方及び参加者の皆さんに感謝申し上げたい。
8月18日(月・祝日) 関東地区研究会報告
場所: 立教大学

第一セッション:多文化の視点からみる東北大震災と今後の課題(年次大会企画 震災ワーキンググループ 「被災地の声―みえてくる多文化社会の課題と挑戦―」のプレセッション)

9月の年次大会で開催する震災関連ワークショップ「被災地の声―みえてくる多文化社会の課題と挑戦」のプレセッション。まず被災地でのボランティア活動の経験を紹介する。続いてワーキンググループで収集した情報を提供した上で、参加者による意見交換を行う。(大震災関連JSMRワーキンググループ特集の記事もご参照ください。)
This is a preconference session for the Tohoku Earthquake Workshop in the Annual Conference of JSMR held in September. The session starts with a volunteer’s report by Mr. Saneyuki Maekawa, followed by discussion among participants. Some information from Working Group members will be shared as a guide for discussion. (Please see also the feature articles on the JSMR Working Group on Disasters)
前川仁之氏(立教大学)からの震災現場でのボランティア報告 
Saneyuki Maekawa, Rikkyo University、Volunteer’s Report from the Devastated Site
渋谷百代(埼玉大学)Momoyo Shibuya, Saitama University ,The Tohoku Earthquake and Issues around Migration

災害の復興にどう関わるか、その答えは人により様々だ。が、何か自分ができることで直接支援したい、と思いを行動に移すボランティアは、日本でも着実に増えている。ボランティア活動は阪神淡路大震災をきっかけに定着した感があるが、今回の東日本大震災でもこれまでに蓄積されたノウハウを生かしながら、復興への力になってきた。 第1セッションは、そんなボランティア活動を宮城県で行った前川氏の体験談から始まった。前川氏は、撮影した写真で塩竈や多賀城の被災状況を紹介しつつ、自らのボランティア活動について説明。ボランティアのニーズが掘り起こされていないところに、個人で声をかけながら情報収集して活動する中で、野球のグローブを学校から譲り受け被災者の子供達に届けた経験などを披露した。と同時に、(「被災地」「準被災地」など)被災地間にある意味の序列ができてしまっている現状に対する危機感も伝えられた。 続くディスカッションでは、参加者がそれぞれの視点から活発に意見交換を行った。特に、記録・実態の把握の重要性やその一手法としてのオーラルヒストリー収集、風評・無理解・偏見等による差別問題やそれを改善するために何をどう伝えて行くべきかを検討する必要性、また、具体的支援への関わり方や研究者の役割についても議論された。被災地に押し掛け被災者に負担を強いる研究者の是非はあるが、やはり真摯に問題に向き合い、関わる、という姿勢が大切だろうということも確認された。 東日本大震災に対し多文化関係学会としてどう関わるのか考えることを課題として共有したいとディスカッションの場を今回の研究会に設けていただいたが、その結果、いくつかの研究上の焦点も見え始めてきた。年次大会でのワークショップで更なる具体的な展開を期待したい。
文責:渋谷百代 埼玉大学経済学部

第二セッション:朝鮮半島への多視点的アプローチ

話題提供者(1):マーク・E・カプリオ氏(立教大学)(Mark E. Caprio, Rikkyo University)
発表テーマ:「複合的視点から見た朝鮮半島問題」
“Viewing Korean Peninsula Issues through Multiple Lenses”

 拉致問題、日本近海へのミサイル発射、核兵器開発など、北朝鮮は日本の安全保障及び東アジアの安定を脅かす存在となっている。マスメディアに登場する北朝鮮は、「サングラスをかけた金正日」、「大規模な軍事パレード」、「マスゲーム」と紋切り型であり、なかなかその実情に迫ることは難しい。必然的に、北朝鮮問題も手詰まり感が漂ってくる。
 カプリオ氏は、北朝鮮問題をこのような画一的な見方から考えるのではなく、複合的な視点から深く広く重層的に『理解』することで、問題解決のオプションが増えてくると提言している。複合的な視点とは、「絶対的」と「相対的」、「結果」と「歴史・過程」、「短期的」と「長期的」、そして「ローカル」と「グローバル」など異なる二軸の組み合わせのことを指している。 一例として「絶対的」と「相対的」を取り上げると、北朝鮮の国民総生産(GDP)に占める国防費は約25%であり、日本は1%となっているが、これを絶対額で比較すると北朝鮮が年間100億ドルに対して日本は430億ドルとなっている。また、「結果」と「歴史・経緯」については、2010年11月23日に発生した延坪島事件を取り上げ、日米のマスコミが延坪島の位置関係(付近は南北双方が未だに領有権を主張している)や、事件に先立って付近で米韓の合同演習が行われていたことについては説明していないことが指摘された。 以上のように複合的な視点から北朝鮮問題を分析することで、問題を『理解』し、解決策に到ることが出来るというのが、カプリオ氏の説明の趣旨である。
私は、職業柄、外国政府の官僚と交渉することがあるが、問題が起きると、ついついその問題を解決するための交渉を如何にまとめるかに集中してしまう。今回の話は、相手側の論理を理解することの重要性はもちろんではあるが、それ以外に時間軸、空間軸、比較するモノサシをそれぞれ違った値から見ることの重要性を説いたもので、問題分析・問題解決の有益なヒントであった。
文責:舘山丈太郎(独立行政法人国際協力機構)


話題提供者(2):イ・ヒャンジン氏 (立教大学)( Lee Hyangjin, Rikkyo University)
発表テーマ:「日本における韓国大衆文化と在日」“The Korean Wave and re/presentation of Koreans in Japanese popular culture” 

 2003年頃から「韓流ブーム」が始まったが、日本における韓国大衆文化の受容は、現在では、もはや「ブーム」などではなくなり、定着化の一路を辿っているように見える。『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンに始まり、東方神起やKARAに至っては、小学生の間でも人気が高い。本発表において、李氏は、日本人を対象に行なったアンケート調査やインタビュー調査を基に、韓国の大衆文化が日本でどのように受容されたか、そして、そのことによって、日韓の文化への認識がどのような変容を遂げてきたのか、に関して、主に議論を展開された。
特に興味深く思われたのは、韓流ブームの成立の背景に、社会的にマージナルな存在とされてきた中年女性の現実があったという点である。男性にはポルノ、子供にはアニメ等の娯楽ジャンルがあるが、中年の女性向けには娯楽ジャンルが存在していなかった。その隙間を埋めたのが韓流ドラマだったということである。家庭のためだけに生きてきたような多くの中年女性にとって、韓流は一気に情熱を注ぐ対象となった。
現在では、韓流は中年女性から若者へと広がりを見せ、日本人の日常の一部となっていると言っても過言ではない。そのような状況下、20代以下の若者・子供達の韓国観は、これまでの世代とは異なっているという。韓国でも、民主化をリードした60年代生まれの人々と違い、今の20代の若者には、日本に対するコンプレックスがない。現在、若者たちは、その善し悪しは別として、歴史にとらわれない、新たな道を歩み始めているということであろう。
最後に、大衆文化が、その枠内にとどまらず、広く社会へ波及していく可能性にも触れられた。鉱山での朝鮮人の強制労働の痕跡を残す、京都の丹波マンガン記念館の再建に際し、韓国のユンドヒョンバンドが歌った映像の中に、「過去の中に明日がある。痛みの中に希望がある」という印象的な歌詞があった。大衆文化の社会への影響は決して小さいものではなく、日韓関係において重要な役割を担い得るものであることが示されている一例と言えよう。楽しい雰囲気の中、映画や歌の映像を実際に見ながら、貴重なお話を聞かせていただけたことに感謝申し上げたい。
文責:瀬端 睦 立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科

2011年7月17日(日)
14:00〜17:00
中部・関西地区夏季研究会報告
場所: 龍谷大学・大阪梅田キャンパス
   〒530-0001 大阪市北区梅田2-2-2 
   ヒルトンプラザウエストオフィスタワー14階
   TEL:06-6344-0218 FAX:06-6344-0261
テーマ:「日本社会と朝鮮学校:言語、文化継承の視点から」

話題提供者(1): 田中宏【自由人権協会代表理事】
タイトル: 「高校無償化の朝鮮学校除外に見える日本の多文化共生」 Japan's multicultural existence seen in the exclusion of Korean ethnic high schools from the planned school tuition-free program

最初の講演は、一橋大学名誉教授である田中宏先生によって「朝鮮学校の高等学校授業料無償除外」について講演された。先生は長年、在日韓国・朝鮮人にめぐる様々な課題について運動してきた方である。その運動は現在に至り、朝鮮学校の高校無償化の朝鮮学校排除に反対の意を唱えてられている。田中先生は、朝鮮学校の歴史を分かりやすく説明され、全国で必ずしも一貫した処遇を朝鮮学校に与えなかったことがわかった。東京都等、公立の朝鮮学校もあった時代もありながら、別の地域では同胞が自ら設置運営してきたケースもあった。1968年からは、朝鮮学校は全て各種学校と認可されているので、無償制度外はあり得ないことを理由にあげ、)民主党政権が打ち出した高等学校無償制度から朝鮮学校が除外された場合、それは差別であると強く主張された。 次の講演は、京都大学大学院の柳美佐先生による朝鮮学校でのエスノグラフィ研究についての報告でした。小学生を対象に、朝鮮学校における2言語使用教育について説明されました。通常日本語を使用している普通の在日朝鮮人の家庭から学校の教育課程に参加するとかなりの朝鮮語の習得が見られた。これは、アイデンティティの形成が共に行われているのが大きい原因である。また、他の2言語使用教育機関と同様に、二つの言語を同時に習うのはハンディキャップにはなっていないことが説明された。

二つの講演には、田中先生がマクロ在日朝鮮人の事情を紹介し、時事的な問題を投げかけ、柳さんは、ミクロに朝鮮学校の実態を描写していただいた。研究会としてバランスがとれた企画でした。ただ、疑問に残る部分もありました。田中先生は、在日朝鮮学校の実態をもっと日本の知識人に知ってもらいたいと訴えた。しかし、それを可能にするためには論点を広げる必要があると思いました。在日韓国・朝鮮人を巡る課題は日本の歴史のみで論議されていて、あまり比較的な論議がされていないという印象をもった。また、二つの概念「差別」と「国籍」についてさらに考察が必要だと思った。研究会が終了して数週間が立った。その間、一人の多文化関係学会の会員として、指摘された問題を心に留め、思いめぐらした。その理解への過程をここで分ちたいと思う。

私は、あまり在日コリアンについて知る、または勉強する機会がなかった、または、求めようとしなかった。その背景の中で、今回の高等学校授業料無償除外は、「差別だ」、「差別だ」、と叫ばれるのに対して、疑問が湧いた。どのような差別なのか、なかなかピンとこない。それが私の反応だった。それを理解するために少し「差別」を分析しようとした。大体五つの類いがそんざいするかと考えた。
 (1)限られた食料、物資、雇用の供給優先順位による差別
 (2)あるグループの優越感から起きる差別(知能、開発度、文明評価等)
 (3)ある国が民族・人種的に純粋さを計ることによる差別
 (4)国策の制度的な差別でグループによって処遇が違う
 (5)あるグループは国防上危険と思われて差別する
もっとあるかもしれない。また、もしかしたら1から5まで当てはまるかもしれないが、ここでは先ず(1)と(4)に触れ、(5)は「国籍」を取り上げる時に触れる。
戦後、物の足りない苦しい時期にさらなるグループが日本社会環境を圧迫する。それが、外地からの引揚者である。その数は7百万近く帰って来て、在日アジア人の人口の2倍を及ぼした (Watt, 2009 p. 2)。彼らは、社会的に内地日本人と在日アジア人の間に居ることになった、在日アジア人は内地日本人とともに地方で暮らし、その地方性が強かった。引揚者は、その反対に、標準日本語を喋り、中央、或はコズモポリタン志向を持っていたとLori Watt (2009) が指摘する。彼らが戦後社会の価値観に良く合致して、十数年後に高度成長の波に浴びて内地日本人とほぼ同化している。これがもう一つの疑問でした。このグループの存在の歴史的な論議はなされていない。
ただ、外地に暮らしていた時、その引揚者は現地で一番高い階級にあった。我が学会員の朴仁哲さんは、旧満州の社会についてオーラルヒストリを研究されて、研究会及び大会で複数回発表なさった。彼の研究の中で、満州での政策として民族によった給料の違いがあった(e.g.朴、2007)。私が疑問に思うのが、このような政策的な差別は、果たして日本で創造されたか。又は、他の帝国から真似をしたか。なぜなら、このようなやり方は 南アフリカに似ている。例えば、インド人が大英帝国の中で労働者としてアフリカに移動した。そこで、アフリカ人とイギリス人の間に位置づけられる。モハンダス・ガンディの活動は、南アフリカでの労働運動から始まり、その成功によって後にインド独立運動を指導する (Gandhi, 1957/1993)。 このように他の国・地域の状況によって歴史上の関係性が存在するかしないか知りたい。

田中先生の講演の中で、国籍の問題を歴史的に取り上げられた。1947年に、日本憲法が発表される直前に、旧植民地出身の住民はすべて、日本国籍を喪失し、外国人登録法の下に外国人として扱われるようになった。在日コリアンの中には、韓国籍を選んだ人たちは韓国人になり、その他の人たちは無国籍者になった。1991年に、旧植民地出身者とその子孫は特別永住者との資格をもつようになった。
国籍を停止する例は、南アフリカにもあった。1948年に、国民党 (Nationalist Party) がアパルトヘード政策を本格的に始める。その長期計画について、全てのバンテウ系の黒人が国内設立される homelands いわゆる「国」の国籍を持つ。そうすれば外国人扱いにされる (Fage, 1978)。外国人だと差別し易くなる、また差別しても良いことになりえる。ただ、南アフリカの黒人も在日コリアンにとっても国籍が失われる前にも差別があった。
また、逆に外国籍であるということによって、グループメンバーがはっきりする利点もある。団結と支援がもっと可能になる。在日コリアンの場合、近年、韓国が外交レベルで、法的改善に交渉することができた。反対に、中国国内における移動労働者として働くものは農民出身者が多い。彼らは中国籍で、国民の同胞でありながら、働く都会地域には永住出来ない (Solinger, 1999)。最近、移動労働者の福祉的配慮が改善されてきたものの、都会の住民と比べて処遇が違う。さらに、グループとしてのアイデンティティが形成されていないので、団結しにくい。
たとい国籍を獲得しても人権が保証できない場合もある。これを象徴するのは、太平洋戦争時に、日系アメリカ人が強制収容された歴史である。この差別は上記にある(5)で、国防に関する危機が認識されると差別する、いわゆる身近な恐怖 the terror withinである。2001年9月11日に起きた多発テロ事件から十年たっている。当初は、アラブ系イスラム教徒が、racial profiling のような先入的犯罪者扱いを、アメリカを始め、多くの国で実施された。アメリカ軍は、アフガニスタンやイラクに侵入し、長い戦争に巻き込まれてにもかかわらずテロイズムがなかなかなくならない。また、英国等で見られるテロリストは、遠くから来た外国人ではなく、身近に住む同胞である。
9・11十周年の前日、読売新聞の英字版 The Daily Yomiuri を開くと 朝鮮学校の高等学校授業料無償除外の問題が取り上げられていた。背景は、管総理大臣が辞任する直前に、朝鮮学校の無償対象を検討するように指示した。そこでThe Daily Yomiuri は、反対する記事を載せた。新聞は朝鮮学校を、pro-Pyongyang schools と訳している。「朝鮮学校」と比べて過激的なスタンスを取った英訳である。そして、学校と朝鮮人民共和国との関係を、”closely linked” や “under the influence of” 等の表現を加え、恐怖的な印象を立てている。さらに、 朝鮮学校の高等学校授業料無償化は、共和国が拉致問題や島攻撃行為の改善を条件にしている。被害者は誰なのかと言うと、共和国ではない。被害者は在日コリアンの子どもである。柳美佐先生の講演にあったように、朝鮮学校の一貫教育から、多く学ぶところがあって、とくに2言語使用の問題に直面している日本の教育は朝鮮学校をののしる対象にしてはいけないと思う。

以上の思いめぐらしにより、ようやく田中先生が言われた差別が理解できていないことがわかった。 高等学校授業料無償除外 の問題が身近な恐怖による差別であるとたどり着いた。できれば、他の人たちには私より素早く理解することを望む。ただ、これを通して様々な関係性を研究する必要性を新たに感じた。またその関係性を研究する過程の中にぜひ視野の広い比較も含めていただきたい。

参考文献
朴仁哲(2007)。「満州国」における「五族協和」の理念と朝鮮人移民。多文化関係学会2007年度代7回年次大会抄録集(pp.78-81)。
関西共同ニュースNo53。・2010年に1991年、1965年を重ねるとー「朝鮮学校外し」「朝鮮学校除外」を評すー【定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク・共同代表】、 http://www17.plala.or.jp/kyodo/news53_6.html (2011-9-10)。 Fage, J. D. (1978). A history of Africa. London: Huchinson
Gandhi, M. K. (1957/1993). An autobiography: The story of my experiments with truth, (M. Desai, Trans.). Boston: Beacon Press.
Solinger, D. J. (1999). Contesting citizenship in urban China: Peasant migrants, the state, and the logic of the market. Berkeley, CA: University of California Press.
Unclear why pro-Pyongyang schools should be free. The Daily Yomiuri (September 10, 2011) p. 2.
Watt, L. (2009). When empire comes home: Repatriation and reintegration in post-war Japan. Cambridge, MA: Harvard.
文責:John E. Ingulsrud 殷約翰(明星大学)

話題提供者(2): 柳美佐 (京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程院生)
タイトル: 「在日朝鮮学校児童の継承語習得過程−初級部3年生の二言語作文から見えてくるもの(中間報告)−」Heritage language acquisition process of the Korean ethnic schools’ students-An exploratory research on the elementary school students’ compositions in Korean and Japanese (progress report)-

柳美佐氏の発表の直前に話題提供をおこなった田中宏氏がいみじくも指摘されたように、日本の研究者の多くは、海外の研究動向を追うことには熱心であっても、日本国内のローカルな問題については必ずしも十分に関心を寄せてこなかった。その意味では、「バイリンガル教育」や「イマ―ジョン教育」に関する研究についても同様のことが見られ、中華学校や韓国・朝鮮学校に関わる研究は、これまで十分に行われてきたとは言えない。
 柳氏が本話題提供において発表された在日朝鮮学校児童の継承語習得過程に関わる研究は、日本国内の最大のイマ―ジョン教育機関である朝鮮学校を真正面から取り上げたこれまでにない研究で、大変興味深いものであった。具体的には、8か月(2008年4月から11月にかけて)にわたる小学校1年生クラスでの参与観察に基づき、朝鮮語イマ―ジョン教育に関わる豊富な事象報告に加えて、継承語教育としての朝鮮語教育が持つ民族アイデンティティとの関わり、朝鮮大学校を頂点とする朝鮮学校がシステムとして新たな朝鮮語イマ―ジョン教育の指導者を養成する機関ともなっている点など、これまで取り上げられることのなかった多くの情報を提供する示唆に富む発表であった。
 今回の発表は「中間報告」という形でおこなわれたので、引き続き多くの成果が期待されることから、今後の研究の進展にも注目していきたい。
文責:守ア誠一(神戸市外国語大学)

2月20日(日)
14:00〜17:00
関西・中部地区研究会
場所: 龍谷大学 大阪梅田キャンパス
テーマ:「対人コミュニケーションにおける自己開示、自己提示」
私たちは日常的な他者との相互作用において、自分自身の欲求や感情のおもむくままに発言したり、行動したりしているわけでなく、常に他者の目を意識して自分自身の表出行動を観察し、その社会的適切性を判断してコントロールしています。今回の研究会では、中川氏、守崎氏から自己提示や自己開示をテーマに、日韓のビジネスパーソンのコミュニケーション比較分析や自己開示の概念化について学習する機会となりました。報告概要は以下です。

報告提供者:中川典子(Noriko Nakagawa)(流通科学大学・サービス産業学部)
表題:「日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネスパーソンの自己開示に関する比較文化的研究」(Cross-cultural Study between Japanese and Korean Business People on Self-disclosure)
プロフィール:流通科学大学サービス産業学部観光・生活文化事業学科教授。米国ポートランド州立大学大学院スピーチ・コミュニケーション学科修士(MA)。関西学院大学社会学研究科社会学専攻(博士)。専門は異文化コミュニケーション、対人コミュニケーション、異文化心理学。著書に「異文化シミュレーション、バーンガ(Barnga)を通じて異文化接触を擬似体験するー気づきから行動変容へ」『人間関係のゲーミングシミュレーションー共生への道を模索する』北大路書房(2007)、Instructor’s Manual and Test Bank (IMTB) for Culture and Psychology, Wadsworth Public Co., 2008、等。
概要:
 本発表は、比較文化心理学的視点から、日本と韓国のビジネスパーソンの自己開示という対人行動における類似点と相違点を、開示者と開示相手との職場の地位に反映された関係性、および、自己開示の場としての酒席という2つの状況要因に着目しつつ、探索した発表だった。
 発表の構成は4つの研究、すなわち、研究1:日本人ビジネスパーソンを対象にした自己開示調査−開示相手の職場の地位、開示の場、開示者の年代差の観点から−、研究2:日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネパーソンを対象にした自己開示に関する量的調査(1)−開示相手の職場における地位、開示の場としての酒席、および自己開示の話題の観点から−、研究3:日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネスパーソンの自己開示に関する量的調査(2)−対象者にとって自己開示、仕事仲間との会話、酒席がもつ意味−、研究4:日本人ビジネスパーソンと韓国人ビジネスパーソンの自己開示に関する質的調査からなっていた。
 研究1は、1995年4月に発表者が行ったアンケート調査に、研究2と3は、1998年4月から11月に日本の関西圏とソウルで行ったアンケート調査に、研究4は2004年6月から2005年2月に日本の関西圏とソウルで行ったアンケート調査に基づく分析であるというように、発表は発表者が長年にわたり蓄積した研究の総括であり、その凝縮度は発表時間内では消化しきれないほどだったが、先行研究を踏まえ反省を加えた問題設定や、これまで、集団主義的な「アジア人」というカテゴリーで括られてきた日本人と韓国人に対し、「その微妙かつ重要な社会行動における類似点と相違点」を明らかにしようというチャレンジは極めて興味深いものだった。
 全体を通して、「話題:趣味・嗜好、仕事、人格、家族、身体、社会問題、金銭」や、部下、同僚、上司といった開示相手の職場における地位、酒席、開示相手の年代などが、自己開示傾向に影響を与えることが示され、日本人が確かに「飲みニュケーション」していること、日韓において共に酒席では広範な話題において自己開示度が高いことが実証された。
 発表では各アンケート調査やインタビュー調査の結果が詳細に分析され、日韓の共通点や相違点が示されたが、共通点において、特に印象深かったのは、日韓共に「タテ」意識の強い伝統的価値観が崩れつつあるのではないかという指摘である。
 相違点としては、韓国人は社会問題に対する関心度と自己を明確に表現することを好む傾向にあること、金銭に対する態度の相違、日本人が、より自分を語るという行為において対人志向的、場依存的傾向が強く高コンテキストであるのに対し、韓国人はより言語への依存度が高く、日本に比べ低コンテキストである可能性の指摘が興味深かった。
 筆者の研究地域は中国であり、中国に置き換えて見るとどうなるのか考えさせられることも多く、本発表から多くの示唆を受けることができた。
文責:神田外語大学 花澤 聖子

報告提供者: 守ア 誠一 (Seiichi Morisaki) 神戸市外国語大学
表題:「自己呈示に関わる比較文化研究」(Cross-Cultural Studies of Self-Presentation)
プロフィール:神戸市外国語大学外国語学部国際関係学科准教授。University of Kentucky: College of Communications and Information Studies修了(Ph.D.)専門は異文化間コミュニケーション学。
概要:
 守ア先生は、当日お風邪を召されており、「今回の発表はわかりにくいかもしれないが、風邪なのでご容赦願いたい」とのご挨拶から本発表は、始まった。実はこれがご発表のテーマである自己呈示の方法のひとつで、具体例を持って参加者の心をぐっと掴み守アワールドである自己呈示に関する文化比較研究の難しさと面白さに引き込まれた感じであった。
 自己呈示について実証的に日米比較するには、自己呈示の概念を明確にするだけでなく、文化比較研究にともなう種々の注意点に留意する必要がある。それを先生ご自身のご研究の知見を踏まえて解説していただいた。その際に特にいくつかの仮説を立て、その仮説が立証できなかった事例を取り上げ、「なぜか」と参加者に問いながら説明されたのが印象的であった。すでに分かっていることを簡潔に教えてもらうのではなく、先生ご自身の試行錯誤の経緯を一緒に追うことで、研究アプローチそのものも理解できる講演であった。
(文責:関西大学 久保田真弓)

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2010年
12月19日(日) 中国・四国地区研究会報告
場所: 岡山大学・文化科学系総合研究棟・総合演習室2
テーマ:「第二言語、第三言語の使用と異文化適応」
     Using L2 and L3 and Cross-cultural adaptation


話題提供者:ミラ・シミッチ−山下(Mira Simic-Yamashita) 岡山大学社会文化科学研究科研究員
 ミラ・シミッチ−山下さんは、東欧のセルビア出身で、現在日本に住み、日本語と英語を用いて、心理学の研究活動を展開中しておられます。ベオグラード大学をご卒業後、岡山大学で博士(文化科学)を取得された、セルビア語、英語、日本語のトリリンガルです。 今回は、在日留学生対象の、量的・質的手法を用いた一連の調査研究を総括して発表されました。この研究は、「第二言語としての英語、第三言語としての日本語」と異文化適応との関係を、WTC(willingness to communicate:意思疎通しようとする意志)の観点から解明しようとするものです。ホスト言語(日本語)と媒介言語(英語)では、異文化適応に異なる働きをしており、これらの二言語が一種のシーソー関係にあり、媒介言語の利便性の高さがホスト言語の習得や活用を低める可能性があること、社会生活や学術活動における言語的オルタナティブがホスト言語の必然性を緩和し、媒介言語に頼った独特の適応が促されていく可能性があることが注目されました。
 日本語と英語を併用して、学部生も含む参加者全員が発言しながら質疑応答と議論を行い、日本社会の文脈下における社会文化的適応を再考する好機を得ました。地区会員以外の方にもおいで頂けて、幸いでした。討議後には、クリスマスツリーにぶら下げたお菓子を順に取り、また簡単なクリスマス風のケーキを暖かいお茶とともにいただき、和やかなひとときを過ごしました。
文責: 田中共子(岡山大学社会文化科学研究科)

8月9日(月) 北海道・東北地区研究会報告
場所: 北星学園大学 第2研究棟地下1階第一会議室
テーマ:「新しい研究へのまなざし」
 今回は、3名の話題提供者が、「新しい研究へのまなざし」というテーマのもとに、それぞれ個性豊かで熱気あふれる研究発表を行った。以下は、3名の話題提供者の発表タイトルと概要である。

話題提供者(1):石黒武人氏 (Taketo Ishiguro)明海大学
発表素材:「多文化関係研究における対話的構築主義アプローチの有効性と限界」 
Usefulness and Limits of Dialogic Constructionist Approach for the Study of Multicultural Relations
話題提供者(2):佐藤美希(Miki Sato)札幌大学
発表素材:「学問分野としての翻訳研究(トランスレーション・スタディーズ)と日本への展開の可能性」
Translation Studies as an Academic Discipline and Its Potential in Japan
話題提供者(3):河原歳也 (Toshiya Kawahara) 北星学園大学
発表素材:「メディアの役割と今日的課題:ジャーナリズム日米比較再考(報道の現場から)」
The Role of Media and Its Contemporary Issues: US-Japan Comparison Reconsidered (A View from a Journalist)

 石黒氏は、質的研究の一手法として最近注目されている対話的構築主義に依拠したライフストーリー・インタビューとデータ分析の方法について発表された。具体的には、まず、調査協力者を様々な社会関係の集積の場にいる者と仮定し、インタビューを通じて協力者と調査者が相互行為的に構築するストーリー(言語的表象)を手掛かりにして、協力者の認識世界とその背景にある文化を理解しようとする質的研究法であるとされる対話的構築主義の基本的捉え方について初学者にもわかりやすく概説された。その後、自身の行った多文化組織(英語学校)に働く人々に行ったライフストーリー・インタビュー記録の紹介を織り交ぜながら、このアプローチが持つ有効性ならびに研究を進める上で遭遇する問題点や限界について議論された。
 次に佐藤氏は、主としてヨーロッパで始まった翻訳研究(トランスレーション・スタディーズ)の流れを分析、概観し、日本での研究の現状について報告された。具体的には、1970年代 以前の学者たちによる翻訳研究から始まり、翻訳の文化的展開、翻訳規範の構築に向けた動き、さらには、2000年以降の社会学的アプローチに向けた動きなど、翻訳理論構築に向けての研究動向について概説された。最後に、この分野の研究は端緒に着いたばかりと言わざるを得ない日本での翻訳研究の流れと現状について報告された後、現在日本以外で関心が高まっている社会学的アプローチを応用した翻訳研究の可能性について、近年の翻訳出版状況との関連から議論された。
 最後は、日本で数少ない英文ジャーナリストとして活躍された経歴をもつ河原氏が話題提供された。氏は、ジャーナリストとしての長年の経験を通して培った洞察力を基に、日米のジャーナリズムのあり方を比較文化的な視点から議論された。具体的には、新聞の発行部数、社説での論調、ジャーナリストの身分職種、職業観、大学の教育制度などについて具体例を引きつつ、日米のジャーナリズムがその文化的、歴史的背景に多大なる影響を受けていることを比較対照しながら解説された。最後に、日本独自の記者クラブ制度の存在など、日本のジャーナリストが取り組むべき問題点の指摘をして、話を終えた。
 質的研究法、翻訳研究、ジャーナリズム比較研究と、学際的な当学会にふさわしく様々なアプローチからの話題提供となったが、それぞれの発表で当該分野に深い関心を持つ熱心な参加者の皆さんのおかげで活発な議論ができ有意義な研究会となった。
(長谷川典子)

7月10日(土) 中部・関西地区夏季研究会報告(今回は異文化コミュニケーション学会関西支部合同研究会とした)
場所: 龍谷大学 大阪梅田キャンパス
テーマ:「多文化社会に求められる言語教育」

話題提供者(1): 松田陽子 (兵庫県立大学経済学部)
発表素材: 「オーストラリアの言語教育政策の重層性―多文化主義の視点から」(Multilayered structure of Australian language-in-education policies: Focusing on Multiculturalism)
 「多文化社会に求められる言語教育」というテーマのもと、松田先生にはオーストラリアの言語教育政策に関するご自身の20年間に渡る研究の集大成をご披露いただいた。まず、1970年代の創成期から現在に至るオーストラリアの多文化主義の変容について、NPL(言語に関する国家政策)、ALLP(オーストラリアの言語・リテラシー政策)、NALSAS(アジア言語文化特別教育プログラム)という3つの言語政策を通して語っていただいた。ここで、これらの政策が政策決定機関により「トップダウン」で決定されたものではなく、コミュニティや学校関係者、言語問題関係者などによる社会の多様なニーズから生まれた「ボトムアップ」の力、および、これら双方の架け橋となった人々やネットワークの「媒介力」により成立したことを知り、多文化社会オーストラリアの原動力を垣間見た思いがした。
 他方、多文化主義の柱の1つである「経済的効率性」が、経済的に重要なアジアの言語・文化の習得に焦点を置くアジア重視政策に影響を与えているとの指摘があったが、多文化主義のもう1つの柱である「社会的公正(平等)」と今後どのようにバランスをとっていくのかは興味深い課題である。
 また、1990年代後半頃から広く使われるようになった「異文化間言語学習」という学習パラダイムの中で紹介された「第三の場」という理論は、相手(他者)の言語文化だけではなく、学習者(自己)自身の言語文化への理解を促し、相互交流の場(第三の場)で双方にとって適切なコミュニケーションを可能にする異文化間コミュニケーション力を醸成しようとする考え方であり、異文化間コミュニケーションで言われる「第三の文化」に通じる視点であると感じた。
 最後に、松田先生のこのテーマに対するほとばしるばかりの情熱とその真摯なご研究の姿勢に深く感銘を受けたことを記したい。
文責:中川典子(流通科学大学)

話題提供者(2): 友沢昭江(桃山学院大学国際教養学部)
発表素材: 移動する子どもの言語教育―日本型の移民社会の可能性との関連において」(Language education of “migrating” children ? searching for an immigrant society of “Japan model” )
 人口の減少に歯止めがかからない日本においては、「人口の減少分を外国人の受け入れで補うことが『活力ある社会を維持する道』」ではないかと提言する坂中英徳氏(移民政策研究所)の議論を踏まえ、日本が「育成型」移民社会を目指すとすれば、日本における外国人の子どもの言語教育が大変重要な意味を持ってくる。
 国際的責務、歴史的経緯、労働力不足、経済協力などの様々な理由で日本は移民を受け入れてきてはいるが、母語と日本語の「二言語環境にある子ども」は、多文化化が進む日本社会の「資産」として理解されるのではなく、一般的に問題視されることの方が多い。日本語話者への急速なシフトによって家庭内でのコミュニケーションに軋轢を抱えているとか、日本語で行われる授業についていけなくなり学力低下を引き起こしている、などである。日本語指導が必要な外国人児童・生徒に対する明確な言語教育の施策が、日本型移民社会の実現を可能にするための一助となるのではないかとの指摘があった。
報告者:金本伊津子(桃山学院大学)

7月10日(土) 九州地区研究会報告
場所: 九州大学・伊都キャンパス比文・言文教育研究棟第8ゼミ室

テーマ:「グローバルリテラシー(国際対話能力)の実践と検証」
話題提供者:谷雅徳氏(関西大学)

 今回の九州地区研究会は「グローバルリテラシー(国際対話能力)の実践と検証」と題して、コミュニケーションとは何か、グローバルリテラシーとは何かについて考えるというものだった。谷雅徳先生が示されたグローバルリテラシーの真髄は、相手を理解しよう、相手に伝えようというエネルギーであった。講義は「言葉に頼って本当の意味での国際的な対話ができるのであろうか」という谷先生の問いかけから始まり、グローバルリテラシーとは何かについて、具体的な実践例を挙げながら先生が示し、最後に参加者全員で議論するという形で進んだ。実践例は、谷先生が越前屋俵太時代に経験されたものであり、ここでは今回のテーマを最も顕著に表しているものをとりあげる。
 越前屋俵太時代に、フランスの首相が「日本人は蟻のようだ。小さな家に住んで、毎日せっせとひたすら働いている」という失言をしたという出来事があった。この発言は日本人の尊厳を傷つける発言であり、当時日本、フランスの両国で問題となり、外交問題に発展するのではないかまでと思われていた。そのような状況の中で、谷先生は日本のテレビ局から「フランス首相の発言に対して物申すような企画」の依頼を受けた。そこで谷先生が行った企画は、日本人である谷先生が蟻の着ぐるみを着てフランスに乗り込み、フランス国民、ひいては首相自身に「日本人は本当に蟻だと思うか」について日本語でインタビューするというものだった。アポイントなしで首相官邸に乗り込んだ蟻の格好をした日本人は、もちろん首相との面会を許されるわけもなく門前払いされるという結果に終わった。しかし、その後この突撃取材は「蟻の格好をした日本のコメディアンがフランス首相の失言に対して抗議すべく首相官邸を訪れた」というニュースとしてフランス全土で報道され、この蟻の格好をした日本人は一躍有名になった。このユーモアを取り入れた方法によって、日本側の怒りを伝えるという目的は果たせたのであった。この実践例から、国際対話の場面では流暢に言語を駆使することよりも、自分のメッセージをきちんと伝えること、相手のメッセージをしっかりと理解しようとすることが大切だと示された。また、メッセージのやりとりには、時にユーモアが非常に有効な潤滑油として機能することがあるということも同時に提示された。
 今回の先生のご講演では、グローバルリテラシーにおいては、相手としっかりコミュニケーションをとろうというエネルギーが重要であるということを教えていただいた。参加者の大半が日本語教育を専門とする者であった今回の研究会において、「言葉を越えたコミュニケーション」というグローバルリテラシーの視点は新鮮であり、コミュニケーションの根源的なあり方を再認識させてくださるものだった。
文責:藤美帆(九州大学大学院比較社会文化学府院生)

2010年7月3日(土) 関東地区研究会報告
場所: 立教大学

話題提供者(1): 平山修平 青山学院大学 (Shuhei Hirayama, Aoyama Gakuin University)
発表素材: 医師と患者のポジショニング “Physician-patient positioning in their face-to-face communication”
 医師と患者の関係は、通常平和的な状態からスタートする。しかし、医師を信じ安心してすべてを任せる状態の後に好ましくない結果が生じた場合には、患者は医師の行為やモラルを疑い、不信を抱き、感情的に激しく批判する状態に陥る。一方、医師も患者の権利意識が極度に高まると、フラストレーションや無気力感に苛まされ、むなしさなどの情動が生じ「医師崩壊」といわれる現象が進んでいく。
 このようなプロセスを辿る原因は、一般に医師と患者の医療に関する価値観の違いにあると考えられてきた。しかし、平山氏は両者の情動的プロセスそのものに焦点をあて、これまでとは異なる視点でそのメカニズムを明らかにした。 平山氏によると、このプロセスには患者の感じる「シェイム」が大きく関与しているという。患者の感じるシェイムとは、1)病を患って生じるシェイム、2)医師に威圧されて生じるシェイム、そして、3)医師の弁明に対して感じるシェイムで、これらのシェイムを医師との間に繰り返し感じ続けるうちに、両者の葛藤が一気に深刻化するという。
 また平山氏は、これら患者のシェイムに対応する3つのアイデンティティー(1.「病を持つ者」、2.「被治療者」、3.「消費者」)を想定し、医師と患者間の葛藤の理論化も試みている。これらのアイデンティティをSheffの部分総体的推論を用いて分析し、医師が患者の消費者としてのアイデンティティのみに対応し防衛的な反応を示せば、患者の他のすべてのアイデンティティが影響を受けて傷つき、結局患者が医者への「依存から批判」へと一気にその態度を変化させると結論付けている。
 今回の研究結果が医療に貢献できることとして、平山氏は「対話自立型」の葛藤解決法や「シェイムの安全な放出方法」のためのコミュニケーション・トレーニングなどを提唱しているが、これらは医療現場だけではなく、異なる属性を持つ他の集団、例えば教師と学生、上司と部下、先進国と発展途上国などにも広く活用でき、この新しい視点を取り入れた異文化コミュニケーション研究が今後も期待される。
文責:穐田照子(桜美林大学)

話題提供者(2): 石川准(静岡県立大学)(Jun Ishikawa, Shizuoka Prefectural University)
発表素材: 「テクノロジーとアイデンティティ」 “Technologies and Identity”
 石川先生は、ご自身が全盲でありながら、障害を持つ者の自立した生活を支援するためのソフトウェアとその他支援機器の開発、サポートに取り組んでいる。支援技術(Assistive technology)における障害者向けテクノロジの開発者vs.ユーザー、また異なる技術アプローチ間におけるポリティクスについて、主に視覚障害者向けソフトウェアの開発、読書支援技術と歩行支援技術の事例を紹介しながらお話くださった。
 障害者によるパソコン操作を実現可能にするソフトウェアは、ユーザーだけでなく開発とサポート担当者も障害者であり、それぞれが対立する。ユーザーから寄せられる苦情は、原因を切り分ける情報が不明確なために、サポート側が解決策を迅速に提示できずに生産性が低下する。また、開発者がサポート窓口を兼務することにより負担を強いられることもあった。いかにしてユーザーの要望に応えつつ、開発者を守ることができるのかという問題が根底に存在する。
 読書支援技術と歩行支援技術においても視点の相違による対立がある。読書支援には、OCRソフトを通じて音声を聞く聴覚サポート機能、iPadやKindleなどの書籍読み上げ機能、録画機能も装備した「しゃべるテレビ」などがある。歩行支援においても、点字ブロック、ホームドア、GPS、電子タグ等のアプローチがあるが、それぞれが対立している。どの支援技術においても単独のアプローチだけではアクセシビリティが低いが、ユニバーサルデザインと支援技術の双方の協同によって向上し、より良く実現する。例えば、居場所がわからない時に周囲の人に聞くよりも、これら技術の応用によって自ら把握できることこそが大切だと石川氏は主張した。
 米国で開発されたiPhoneには音声読み上げ等の障害者向け技術が搭載されていることを、石川先生の実演を通して初めて知った。日本においても制度化し、そのような端末が障害者の方々に多く提供されることを期待する。
文責:久保田佳枝 (立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科博士後期課程)

2010年3月13日(土) 関東地区研究会報告
場所: 立教大学

話題提供者(1): 能智正博先生(東京大学)
発表素材: 「質的分析の教育―異文化のテクストを読む姿勢を教える」 Teaching qualitative analysis: Approaches to reading intercultural texts
 「大学で文化をどのように教えるか」というテーマであったが、大学で教鞭を取られる先生方だけでなく大学院生の参加も多く、質的研究がさまざまな分野で関心を集めていると改めて感じた。能智先生は、質的研究をどのように進めて行くか、質的研究を進めるにあたって何が重要か、学生や院生の指導という視点から解説してくださり、ご講演後にはさまざまな立場から質問が寄せられた。
 言葉とは単なるコードではなく文脈によって多義性を持つため、質的研究のはじめの段階では文脈の中のデータに向き合いテクストを自由に読むことが大切となる。2、3人のグループでブレイン・ストーミングして気になる点を見つけ、さらにデータと対話しながら理解を深めるうちに読み手側も変化し、胃袋が大きくなるという。自分の枠組みの変化を記録しておくことも必要である。質的分析では、「解釈学的円環」と呼ばれるこのようなテクストと研究者の対話が基本となる。
 「ラベリング評価ゲーム」という先生の授業の一端もご紹介いただいた。グループに分かれ、各ラベルについて4人が一斉にAからDのカードで評価を下す。こうして他人の評価を知ることは、良いラベリングとはどういうものか、学生が考えるきっかけになるという。
 質的研究ではデータと真摯に向き合うことが大事であり、データととことん「戯れる」ことによって、ダイナミックな視点の移動という研究の醍醐味を味わえることを教えていただいた。
文責:津田ひろみ(立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科院生)

話題提供者(2): 田中共子 (岡山大学)Tomoko Tanaka, Okayama University
発表素材: 「質的心理学研究を用いた文化の研究方法とその指導」 Using and teaching qualitative psychological methods in researching culture
 岡山大学の田中共子先生は、研究管理と研究法の指導に関する御自分の教育実践の要点とプロセスを、集まった会員に対して惜しみなくまたエネルギッシュに披露してくださった。
 まず、文化を文脈性のある磁場として捉えると、文脈性の解読に向いていてかつ既存の研究系譜から離れた発見に焦点をあてやすい質的研究は文化研究との親和性が高い、という認識からお話が始まった。その前提にもとづき、実際の学生指導では、学生の志向と能力を考慮し量的研究と質的研究のどちらかの適切な研究法を提示し、たたき台に基づいた添削を指導の基本型とされているとのことである。
 論文作成過程全体の指導プロセスも説明され、学生が明確な「地図」をもって研究にあたることが可能になるシステムを田中先生が提供されていることがわかる。学生が全体図を把握できるよう論文作成から掲載までのプロセスを可視化する、論旨の構成を図やアウトラインとして描かせる、論文に題をつけ論旨の明確化を図る、研究実現性に関しては忌憚ない見解を示し学生にありがちな研究万能感をコントロールすることなどが示された。
 田中先生のお話は情報量が多くここにとても全てを書くことはできないことが残念だ。学生の指導にあたる者にとって非常に具体的かつ示唆に富み、お話し下さった田中先生に感謝申し上げるのと同時に、教員が自身の教育プロセスを振り返り言語化して次の指導に活かすことの重要性を再認識した機会でもあったことを読者の皆様にお伝えしたい。
文責:赤崎美砂(淑徳大学 )

2月28日(日) 中部・関西地区春季研究会報告
場所: 龍谷大学・大阪梅田キャンパス

テーマ:「二極化する日本の多文化共生の実情」
話題提供者(1):藤井幸之助氏(神戸女学院大学非常勤講師)
発表素材:「日本における民族排外主義団体の最近の活動について」
話題提供者(2):花立 都世司氏 (大阪市社会教育主事)
発表素材:「自治体における外国籍住民施策について〜大阪市の事例をもとに」

 話題(1)では、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」と呼ばれる団体による、朝鮮学校に対してヘイトクライムさながらの暴挙が映像を通して紹介された。在日コリアンの子どもたちが学ぶ朝鮮学校に拡声器を持ったグループが押しかけ、マイクの大音響で「スパイの子どもたち」「朝鮮学校を日本からたたき出せ」と拡声器で怒鳴り散らす暴挙の映像はショッキングなものであった。
 社会背景として、不況や、政権交代後、在日外国人の地方参政権に関しての議論が本格化したことが考えられる。また、政府は、高校授業料を実質無償化する予定をしているが、朝鮮学校を対象から排除すべきという意見があり、政府や国会で議論が起きていることも考えられる。研究会では、朝鮮学校のカリキュラム内容について質疑応答があったが、ヘイトクライムさながらの行動に対して、断固とした姿勢を取らない姿勢こそ問題であるという意見が参加者から出た。
 話題(2)では、多文化共生推進のための大阪市の多様な施策が紹介された。外国籍住民施策として、大阪市では、「国際交流や国際協力を通じて世界へ貢献するまち」の実現をめざし、国際化施策の推進に取り組んできている。市域に居住する外国人は地域社会を共に構成する「外国籍住民」であるという観点から、いわゆる「内なる国際化」、「共生社会の実現」という課題が国際化推進のための一つの柱になっている。1994年11月に「大阪市外国籍住民施策有識者会議」(以下「有識者会議」)が設置され、国際化に対応した総合的な外国籍住民施策のあり方について、専門的な見地から意見交換、調査、検討などが行われている。一般の人たちが理解しやすい啓発資料として大阪市の住民を100人村にたとえた色彩豊かな統計資料が作成され、国際結婚や外国にルーツをもつ子どもたちの増加が視覚的に理解できる内容となっている。
文責:李洙任(龍谷大学)
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2009年
8月2日(日) 中国・四国地区研究会報告
場所: 岡山大学・文化科学系総合研究棟・総合演習室2

テーマ: 「異文化適応における社会文化的適応と心理的適応」
話題提供者(1):奥西有理(おくにし・ゆり) 大阪大学工学研究科
発表素材:"Cultural Fit": A new perspective on personality and sojourner adjustment. Colleen Ward and Weining C. Chang, International Journal of Intercultural Relations. 1997, 21, 525-533 
話題提供者(2):畠中香織(はたなか・かおり) 岡山大学社会文化科学研究科
発表素材:“The influence of self construals and communication styles on sojourner's psychological and sociocultural adjustment. Mika Oguri, William B. Gudykunst, International Journal of Intercultural Relations, 2002, 26, 577-593

 Dr. Coleen Ward(Director - Center for Applied Cross-Cultural Research, Victoria University, New Zealand)らが提案した、社会文化的適応と心理的適応に関する論文やその派生論文を集中的に読み、自分の関心のあるフィールドにこの発想をどう適用できるか考えて意見交換を行う、参加型の勉強会企画として実施されました。異文化適応を文化受容と心理的安寧の側面に分けた発想は、様々な異文化滞在者研究にとって示唆的です。
 話題1は、「在シンガポールのアメリカ人滞在者を対象に、パーソナリティ、特に異文化滞在者の外交的性格が、社会文化的適応と心理的適応の度合いとどう関連するかを検討したもの。滞在者が滞在先の文化に合うかどうかという、文化的適合性の概念を提出している。」という論文でした。発表者は、留学生と受け入れ側の間の異文化交流を研究している方です。
 話題2は、「在米アジア人学生を対象に、滞在者の文化的自己観、コミュニケーションスタイルと社会文化的適応、心理的適応との関連を調査したもの。滞在者とホスト間の文化的自己観とコミュニケーションスタイルの類似は、適応への影響因子であるとの仮説の検証を試みている。」という文献でした。発表者は、看護師として海外勤務経験を持ち、日本に来るアジア人介護士・看護師の研究を行っている方です。
 若手や学生を歓迎する方針で、地区会員以外の方にもおいで頂きました。日本社会の文脈下での社会文化的適応を再考し、今後の研究展開を考える手がかりを得る機会となりました。
文責: 田中共子(岡山大学社会文化科学研究科)

7月26日(日) 中部関西地区研究会報告
場所: 高槻市立生涯学習センター

話題提供者(1): 西端 大輔氏(大阪大学 大学院)
テーマ: 「日本アニメはどのように日本文化を体現するのか」
 本発表は日本のアニメが中国でなぜ好意的に受容されているのか、という視点から、次の2点について発表が行われた。
1)アニメ・マンガと政治は同レベルで語り得るのか? 
2)日本製のアニメ・マンガはどのように日本を体現しているのか? 
 前者については、日本政府のアニメ・マンガに対する姿勢を例にあげ、政府がアニメ・マンガを通して日本の文化をどのように語り得るのかを考察する必要性が指摘された。後者については、アニメ・マンガが体現する文化として、「生活様式としての文化」と「知的藝術的活動の実践あるいはそれによって生み出される作品としての文化」が例にあげられた。発表後、フロアからは、ジェンダーの観点、産業としてのアニメなどについての質問がされ、活発な議論が交わされた。アニメ・マンガが世界に配信されて久しい今日、アニメ・マンガが「何を」伝えているのか、本発表は、文化レベルでの考察の必要性を積極的に説いていた。
文責: 出口 朋美(関西大学大学院)

話題提供者(2): 金光敏 氏(キムクァンミン、特定非営利活動法人コリアNGOセンター)
テーマ: 「外国人・民族的マイノリティの子どもの教育をめぐる今 〜国の政策の現状と課題〜」
 本発表では、「排外主義」から「受入れ主義」に転換しようとする今日の日本政府の外国人処遇施策について考察するとともに、外国人のこどもたちを取り巻く教育環境がいかに厳しいものであるかをNGOの視点で報告された。
 日本社会における外国人のこどもたちの教育権が日本社会のセーフティネットから外れ、保障されていない。戦後の日本は外国人として多数を占めた朝鮮人を社会から排外、差別し、かれらのこどもたちの教育権に関しては、朝鮮人学校強制閉鎖、公立学校での厳しい差別などから、自主朝鮮学校を再建していくことを余儀なくされた。金氏自身が在日コリアン二世であることから、朝鮮人学校がたどった歴史が、公教育から弾き飛ばされ在日ブラジル人がブラジル学校をつくった経過と重なるとされ、外国人のこどもたちへの根本的な支援策が必要であると強調された。ブラジル人は日本だけでなく米国にも多く移民している。しかし、米国社会では、日本社会に見られるようなブラジル人学校は多く見られない。それは、社会に溶け込める環境があり、5年、10年経てば社会の一員になれる多文化要因があるからにほかならない。 本報告で、在日コリアンの教育環境を検証することが、ニューカマーの外国人のこどもたちの教育環境を整備するために避けられない作業であることが確認できた。
文責: 李洙任(りーすーいむ)(龍谷大学)

7月25日(土) 関東地区研究会報告
場所: 立教大学

話題提供者(1): Voltaire Garces Cang氏(倫理研究所)
テーマ:「無形文化遺産の生成プロセス ―『伝統』の所有をめぐって―」
 本研究は、無形文化遺産の中でも民俗文化財に分類される郡上市八幡町の「郡上おどり」を通して、文化遺産モデルを構築するという意欲的なねらいをもって完成された博士論文に基づくものである。研究内容の充実度もさることながら、発表者カン・ボルテール・ガルセス氏個人の茶道の経験に端を発した疑問から研究が生まれ、自らを研究の場に置き調査を進めた過程が臨場感溢れ描写された発表であった。日本語による発表は初めてとのことだったが、参加者を飽きさせない巧みな表現力は参加者一同大いに参考となった。遺産とは何かを正攻法から分類した上で先行研究をもとに遺産研究を3つのアプローチに分けたことは交通整理になり、基本知識を踏まえ、郡上おどりを保存団体・商工会・そのほかの組織コミュニケーションという側面から考察したのは効果的であり、かつ、後段に至り、氏の出発点であった家元制度を遺産モデルと絡め合わせたモデル構築は効果的に提示されている。
 さて、本研究にうまくつながるか不確かであるが、この夏、琵琶湖に家族で滞在した折、西側に聳え立つ比叡山延暦寺(世界遺産)で涼をとることにした。東塔・西塔・横川の三塔に仏堂があり、東塔の根本中堂創建以来、1200年の長きに渡って灯され続けてきた不滅の法灯がある。織田信長により根本中堂そのものが焼き払われたため、法灯が一時絶えてしまったが、焼き払われる以前に山形の立石寺に分灯してあったものを、この地に再び復活できたらしい。不滅の法灯とははたして「有形」なのか「無形」なのか。「火」という極めて動的かつ静的なものの曖昧な境界に存する実体(本研究の「水」も同様)、そして灯し続けるという行為は、はたしてどのようにとらえられるべきなのかをめぐって、コミュニケーション的な側面からさらなる考察がおこなわれても面白いと思わせた小旅行となったが、そもそもの契機を与えてくれたのはガルセス氏の研究に相違ない。
文責: 小坂貴志(立教大学)

話題提供者(2): 石井敏氏 (獨協大学)
テーマ: 「高まる宗教間対話の研究・教育の必要性」
 「高まる宗教間対話の研究・教育の必要性」と題して石井敏先生がお話しされると聞き、宗教間の対話や文明間の対話に強い関心を持つ者として、拝聴させていただいた。
 石井先生は日本を含む現代世界が「享楽・浪費主義による精神的荒廃」に見舞われている現況と日本における宗教的状況(無関心)に触れた後、イスラームとの対話を呼び掛けるオバマ大統領をはじめ現代世界で起こっている対話の動きを紹介、宗教間の対話を促進する研究教育の必要性を力説された。なぜ宗教間の対話や文明間の対話の機運が高まっているのだろうか。それは、現在、諸宗教、諸文明の間の関係が無視、蔑視、断絶、衝突といった深刻な状態に陥っているからに他ならない。
 ところで、宗教にせよ、文明にせよ、所詮は人間が自分のために作り、作り変えてきたものである。したがって変化させ、互いの無視、蔑視、断絶、衝突も避けることができるはずである。確かに、宗教や文明は歴史とともにますます強力になり人間を圧倒しているが、所詮、人間自身が人間自身のために作ったのだということを私たちは忘れてならない。
 人間が作ったのだから、宗教にせよ、文明にせよ、外見がどれほど異なって見えようとも本質は同じはずである。実際、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、ゾロアスター教、ヒンドゥー教、道教(老荘思想)、仏教、儒教のどれにも通底するものがあると私は考えている。たとえばパウロは「キリストこそ私のうちに生きている」といったが、そのキリストとスーフィ(イスラーム)の「私は神(アナ・アル・ハク)」のハク(本質、真髄、神)、また、ヒンドゥー教のアートマン(個我)、仏教の「仏」(一切衆生悉有仏性、「生きとし生けるものすべてに仏性あり」の意)、道教(老荘思想)の道(タオ)は根源的に同一のものを意味していると私は思っている。
文責: 染谷臣道(静岡大学)

7月18日(土) 北海道・東北地区研究会報告
場所: 藤女子大学北16条キャンパス

第1部 研究報告
テーマ:「オバマ大統領に見るネゴシエーション力」
話題提供者: 御手洗昭治氏 (札幌大学教授)

第2部 講演
テーマ:「ねえ、ワタナベ君」と’’Hey, Watanabe’’の間‐『ノルウェイの森』の英訳から見た「文化」の翻訳‐
話題提供者: 簗田憲之氏 (札幌大谷大学教授)

 今回はじめての試みで午前開催としたが、研究会には研究者の他、学生、NGO関係者など約40名の参加があった。残念ながら、2件予定していた研究報告の1件が、報告者の都合で急遽中止となったものの、全体としては2時間半という時間が短く感じるほど、知的刺激にあふれた研究会となった。以下、内容を簡単に報告したい。(詳しい内容は、2010年冬に発行されるニュースレターに掲載いたします。)
 研究報告はオバマ大統領の選挙戦を「交渉学」の視点から振り返るものであった。米国の大統領選挙では、候補者の選挙公約の国民へのアピール度の高さ、コミュニケーション媒体の活用能力、訴求能力が高くなくてはならず、こうした意味で選挙のプロセスはまさに国民との交渉であり、圧倒的なコミュニケーション能力を駆使して、国民の側に立った政策を強調し、またその実行能力を示唆したオバマ氏は、交渉の成功者であったとされた。
 また、第2部では日本文化が英語文化という鏡にどのように映し出され、そこにいかなる「ずれ」と「ゆがみ」が生まれるのかということを、村上春樹の代表作『ノルウェイの森』で比較対照された。たとえば、講演タイトルである「ねえ、ワタナベ君」と’’Hey, Watanabe’’に限っても、「君」のニュアンスが翻訳できないことにより、文化理解をめぐるリスクが孕むと言う。文学作品の日‐英翻訳の比較対照は、異文化理解につながると同時に多文化社会を考える大きなヒントになるように思われた。
文責: 伊藤明美(藤女子大学)
御手洗先生ご発表簗田先生 質疑応答
7月18日(土) 九州地区研究会報告
場所: 九州大学伊都キャンパス比文言文棟

第1部:「福岡県における移住女性支援と日本語教室開設支援について」 −子どもを連れて、地域で交流の場―
話題提供者: 松崎百合子氏(NPO法人女性エンパワーメントセンター福岡代表、「婚外子差別をなくし戸籍制度を考える会(ここの会)」世話人・石川多美子氏(九州中国帰国者支援・交流センター非常勤講師)
コメンテーター: 貞松明子氏(佐賀大学留学生センター非常勤講師)
 本報告では、まず松崎氏より、女性エンパワーメントセンターの「女性の人権が尊重され、みんなが共に生きる地域と世界をめざす」という理念に基づいた活動として、女性と子供のためのシェルター、多言語ホットライン、アジアの女性に学ぶ外国語教室、日本語教室、フェアトレードなどの多岐にわたる活動が紹介された。なかでも、日本語教室開設支援について詳細な報告が行われ、日本語教室開設の背景として、福岡県内に外国人が散住しており、田舎では日本人男性に嫁いだ移住女性の割合が高いという現状が指摘され、移住女性の孤立化を防ぎ、移住女性間にネットワークをつくることが日本語教室の目的のひとつであると述べられた。また、都市部では既に外国人向け日本語教室は運営されているが、地方にはまだ教室がなく、開設にあたっては、@日本人講師の確保、A交通・広報の難しさ、B家族・地域の理解を得ること、などの地方特有の課題が挙げられた。
 次に、石川氏から、日本語教室開設のためのボランティア講師募集から、教室開設、運営まで、また、日本語教室の現状に関する報告が行われた。日本語教室開設事業としては、2007年度に田川、柳川、2008年度に八女、朝倉、うきは、の合計5か所で行われた。日本語教室の役割としては、@生活するための日本語の力をつける、A生活情報の収集、B友達づくり、が挙げられ、ボランティア教師には、教えるのではなく共に学ぶ、学習者に寄り添う姿勢が求められるが、教室運営に関しては、お手伝いとしてではなく、自らが作り上げるという主体性が求められている。日本語教室の活動状況としては、各教室ごとに学習者の特性、ニーズに合わせた活動が行われている。今後の課題としては、各教室へのサポート強化、また、地域の日本語教育をボランティアまかせにするのではなく、国の施策として取り組んでいくよう、行政への訴えかけが必要であると述べられた。発表を通して、松崎氏、石川氏の移住女性に対するあたたかいまなざしと支援活動に対する熱い想いが伝わり、移住女性支援活動の意義が強く感じられる報告であった。
(文責:安高紀子 九州大学比較社会文化学府院生)

第2部:「日本語学科におけるテレビドラマ教材の使用に関する一考察―中国と韓国を比較して―」
話題提供者: 姚瑶氏(九州大学大学院博士後期過程)
コメンテーター: 谷之口博美氏(別府大学非常勤講師)
 本報告は、前半の盛り上がりを調整する意味も兼ねてやや駆け足で発表された。内容は中国と韓国の日本語学科学習者及び教師を対象としたテレビドラマ教材の使用状況に関する調査報告で、ドラマ教材使用の有効性を実証するための基礎研究のひとつとして中韓両国の日本語学科におけるドラマ教材使用の実態とニーズを明らかにするためにアンケート調査を行ったものであった。結果は以下の4点が明らかになった。
@学習者側の調査結果から見ると中国も韓国もドラマ教材の使用を強く希望している。A教師側の調査結果から見ると中国はドラマ教材使用の必要性を感じているのに対して、韓国は必要性が少ないと考えている。Bドラマを視聴する際に中国の学習者は「日本語コミュニケーション」を重視するのに対して韓国は「ドラマのストーリー」を重視している。Cドラマ選択時の中韓の差は、中国の学習者は「社会問題」と「家族愛」に関するドラマに人気が集中するのに対して韓国の学習者は「純愛」を選んだ人が最も多かった、ということであるが、発表時のパワーポイントからは調査結果の違いが生じる原因や中韓のドラマ選択時の差が(示されたのかもしれないが、コメンテイターをつとめた筆者にとって)若干読み取りにくく、質問とかぶってしまった観もあった。後日要約を拝見した折、当日の討論としっかり絡めていなかったことがまだまだ力量不足かと反省されたが、今回から始まったこのコメンテイターという制度は発表者と聴衆者という二項対立ではなく、さらに別の視点を提示することでより両者をつなげていける可能性を含んでいるように思え、今後の研究会としての発展が楽しみに思われた。姚瑶氏の今回の調査も、将来どのように学習者のニーズに合わせ教室活動が行なわれていくべきか、コミュニケーション能力を高めるためにはどう使用すべきかなどの課題が示唆され、これからが期待される基礎研究に思われた。
(文責:谷之口博美 別府大学非常勤講師)

3月15日(日) 関東地区研究会報告
場所: 地下1階第一第二会議室

話題提供者(1)(第一部 研究会): 手塚千鶴子(慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター教授)
テーマ: 短期留学生の日本留学の光と影:日本らしい異文化交流をもとめて」

 本報告では、グローバリゼーションの中で、日本のポップカルチャーに憧れを持ったり、マルチカルチュラルな人が増えるなど、訪日短期留学生に変化が生じていること、留学の動機や目的なども多様化していることが、まず指摘された。異文化交流を考えるとき、交流する主体を把握することは一義的に大切なことである。
 次に、短期留学生が日本で感じるカルチャーショックや、異文化コミュニケーションギャップを乗り越えるために、授業やカウンセリングを通して支援する手塚氏の具体的手法が紹介されたが、いずれも大変興味深いものだった。最も興味深かったのは、異文化間における「怒り」の表現の違いを授業で討論するために、受講する留学生と日本人学生が描いた怒りをイメージする絵の違いである。留学生は噴火する火山を描くなど、怒りそのものをストレートに表現するが、日本人の学生は、怒りを表現するのみならず涙を描くなど、日本人の怒りには悲しみが伴うという。この指摘は大変面白く、それはなぜなのかということが大変気になった。
 短期留学生は、日本での留学期間が正に短期であるが故に、第三者による異文化適応のための支援の重要性が痛感されるのだが、気づきや自己内省など、留学生の人間的成長を促しながら異文化理解や異文化コミュニケーションギャップを乗り越えさせようとするところに、手塚氏のカウンセラーとしての暖かいまなざしが感じられた。
 かつて文化を盛んに取り入れる側であった日本が、今やポップカルチャーを中心に文化を発信する側となり、短期留学生にも憧れをもたれる時代になっているからこそできる国際交流があるはずであり、また、日本人と留学生が同じ教室で共に学ぶ異文化間教育などを通して、短期留学生支援の可能性を充分見出すことができるという手塚氏の思いは、現場での確かな手応えによるものなのだと実感できる報告だった。

文責: 花澤聖子(神田外語大学外国語学部中国語学科)


話題提供者(2)(第二部:ホラロジーの会): 坂井二郎(立教大学ランゲージセンター教育講師)
テーマ: 持続維持可能な社会における「お蔭様」のコミュニケーションの意義と役割

 「お元気ですか。」「お蔭様で元気です。」「試験はどうでしたか。」「お蔭様で合格しました。」
 上記のような挨拶言葉は日本人の口からよく聞く。ずっと根拠のない話だと思っていた。自分の「元気」はなぜ会ってもいない他人の「お陰」なのだろう。自分の努力で試験に受かったのにどうしてそれと関係のない人の「お陰」なのだろう。このように思いつつ、いままで「お陰様」という言葉の使用に抵抗してきた。坂井先生の「お陰様」コミュニケーション説を聞き、「お陰様」の深いところに含まれていた世界観が見え、暖かい気持ちを持つようになった。「お陰様」という言葉を使いたくなってきた。
 私の気持ちを変えたのは坂井先生の「御蔭様」に対する解釈である。「御蔭」というのはわれわれが普段意識していない異質な存在、あるいは他者である。これは自然環境であり、近い、あるいは遠いところで同じ地球に生きている人間である。われわれの存在はこれらの存在により成り立っている。われわれの生存状態はこれらのものの存在による影響を受けている。そして普段「気付かない形で」これらの要素による恩恵を受けている。だが、人間中心主義、自己・自文化中心的見地でこの「御蔭様」のことが見えなくなっている。その結果は自然生態環境の破壊、他人の意識および多民族の文化の無視を行っている。一方通行のコミュニケーションによる「御蔭様」の精神が無自覚になっている。
 というのは「御蔭様」は人間と自然、人間と人間世界の関連性を重視し、そして異質なものと他者の存在を自分の存在に意味するという精神を提唱する概念と理解してもよいであろう。冒頭の話に戻ると、他者は自分が元気でいることに何らかの理由で繋がっていると考えてよい。自分の試験の合格は見えないところで他者と関連していると考えていく。プラスなことだけではなく、マイナスなことも考えられる。ただ、「御蔭様」の発想で考えれば、プラスもマイナスもなくなるであろう。坂井先生の御蔭で「御蔭様」が大好きになってきた。「御蔭様」精神を普及すると世界は平和になるであろう。

文責: 張暁瑞(明星大学国際コミュニケーション学科)

3月12日(木) 九州地区研究会報告
場所: 九州大学 六本松地区キャンパス

題目:「異文化」をテーマにした授業の試み―世界のアニメ作品(Animated Tale of the world)を使った実践から得られた授業指針―
話題提供者:谷之口博美氏(別府大学非常勤講師)

 本発表では、別府大学で行われた授業の実践報告をもとに、「異文化」をテーマにした授業のあり方について議論がなされた。日本で勉強する留学生の中には、日本人学生との交流がほとんどなく、異文化交流の機会が持てない学生も存在する。そのような背景のある中、留学生に対する日本語の授業に異文化コミュニケーション教育を取り入れることが試みられ、その効果が報告されるとともに、「異文化」をテーマにした授業の指針が示された。
 授業では、宮沢賢治作『雪渡り』のアニメが教材として用いられた。アニメ鑑賞後、物語のメッセージについて作文させ、それぞれの意見を発表し、話し合いを持った後、友情論について作文させるという手順で行われた。その結果、時間をかけ導入が行われたEクラス(19名)と、導入はなされずアニメを見ただけのGクラス(14名)の作文には、内容に明らかな差異が見られ、Eクラスの方が教師のねらいに沿った内容の作文を書いていることがわかった。また、話し合いの際、アニメを自分に共通する異文化の問題として捉え直している学生がいる一方で、頭の中だけで理論的に捉えている学生の存在も確認された。また、母国で受けてきた教育の違いのためか、討論することに慣れている学生と不慣れな学生の存在が明らかになった。以上のことから、留学生に対する「異文化」をテーマにした授業で重要なこととして、@権威的雰囲気を取り除く工夫(教師は学生の意見を独断的に評価しない)、A教材選択・テーマ選択の工夫(経験をもとに討論に参加できる工夫)、B「参加感」を高める(ファシリテーターとしての能力を磨く)、という3つの指針が示された。そして、今後の課題として、物語を自分のことに反映して捉えることができる「メタ解釈能力」を促し物語を自らの現実に置き換えられるような導入とはどのようなものか、「メタ解釈能力」と言語能力とはどのような関係にあるのか、「メタ解釈能力」は測定可能か、という3点が挙げられ、発表が締めくくられた。
 谷之口氏の発表の後、十分な質疑応答・討論の時間が設けられ、実践授業が行われたクラスの詳細や授業内容の詳細が質問されたり、文化の捉え方についての討論が行われたりした。
 今回の研究会は、間際になって開催が決定されたため、外部からの参加者はなく、九州大学関係者のみの参加であったが、多文化関係学会の会員以外で専門分野も異なる参加者もあり、多角的な視点から様々な意見が交わされた。

文責:古谷真希(九州大学)
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2008年
12月13日
中国・四国地区研究会報告
場所: 伊予市生涯研修センター「さざなみ館」

話題提供者(1): 宮脇和人(愛媛大学大学院)
   「伊予市のびっくり鯨騒動と鯨塚」

話題提供者(2):西浦慎介・都子大雅・大塚秀一(愛媛大学学生)
   紙芝居「くじらのはか」、くじらクイズ、「西海地域における鯨塚と鯨文化」

 日本列島には、各地に鯨塚が残されている。今回の中国・四国地区研究会は、鯨塚がある伊予市湊町で実施した。文化的資源として、鯨塚を再確認し、研究発表後に、湊神社にある鯨塚を見学し、鯨肉の試食会もおこなった。地元の小学生を招待し、紙芝居によって、鯨塚がどのような理由で建てられたのかという点をわかりやすく説明した。小学生を中心にほぼ60名の参加があった。
 前半は、宮脇が「伊予市のびっくり鯨騒動と鯨塚」というテーマで、1909年に伊予郡中沖にやってきた巨大鯨の大捕り物と鯨塚建立の経緯について説明した。宮脇は、地元の古老から、詳しく聞き取った内容を忠実に子供たちに伝えた。子供たちの幾人かは、次の世代に、宮脇から聞いた話を伝えていくであろう。言い伝えが伝承されていくプロセスを実感することができた。ちなみに今回、宮脇が報告した部分は、宮脇・細川著「鯨塚からみえてくる日本人の心」(農林統計出版、2008年)の第4章に相当する。宮脇は、話のポイントを次の3点にまとめた。@伊予市の鯨騒動で、郡中の若者たちが捕った鯨は、コク鯨であった。このコククジラは瀬戸内海で生まれたものかもしれない。A下関の捕鯨会社から来た男と、郡中の若者たちが協力したおかげで、鯨をしとめることができた。B地域の人々は、捕った鯨資源を利用したあと、お寺と神社の両方で手厚く鯨をまつった。
 後半は、西浦、都子、大塚らが、紙芝居「くじらのはか」、クジラクイズ、パネル展示によって、鯨文化、鯨の基礎的知識について、子供たちにわかりやすく、説明した。紙芝居は、学生たちが自ら創作した。15の場面設定で、絵と台詞をみんなで議論して作成した。ほんのさわりの部分を紹介しよう。「むかしむかいし、魚がとれなくて困っていた漁村がありました。きびしい冬を目前にひかえた、村びとの生活はとても苦しいものでした。ある朝、村びとが1頭の鯨を見つけます。そして・・・」。終わったあと、会場から大きな拍手がおこりました。紙芝居をみて、子供たちは、何かを感じ取ったようでした。学生らは、鯨塚を建てるという行為を紙芝居のストーリーに仕立てて、子供たちに、「自然物にたいする畏敬の念」「いただきますの感謝の念」をわかりやすく伝えようとした。彼らのメッセージが子供たちに十分伝わった。なお、研究会の内容については、愛媛新聞と読売新聞が後日、報道してくれた。

文責: 細川隆雄(愛媛大学)

9月13日(土)
九州地区研究会報告
会場: 九州大学 六本松地区キャンパス

 話題提供は2件の話題提供者によって行われた。1件は、韓国人と日本人のコミュニケーション距離の理解について、各文化間でスキンシップの許容度を比較し、日韓の異文化理解を促進する目的で、明確なデータ分析のもとに話題が提供された。それに対しもう1件は、日本人の「働き方研究所」の所長の紹介及び著書の紹介を経て、「日本人の働き方研究所」の趣旨、現在まで得られた結果を、働くことの意味を見つめ直すきっかけとして、様々な映像とともに話題提供がなされた。

第1部: 「コミュニケーション距離と異文化理解―スキンシップ許容度の日韓比較を中心に―」
話題提供者:
九州大学大学院言語文化研究院 ゙ 美庚氏
         
 コミュニケーションにおけるスキンシップの許容度について、最もスキンシップの頻度が多いと考えられる大学生を対象にした日韓それぞれの数量データをもとに文化相違の提示が行われた。データは其々、同性・異性のカテゴリー、親・兄弟・親友、親しい先後輩、普通の友人、知り合い程度の人のカテゴリー、またスキンシップ上の露出度によって手、腕、肩などのカテゴリーに分類され、多面的な分析のもとに提示された。また、実例としての映像や写真が具体的な例として示された結果、どのカテゴリーにおいても、日本人のスキンシップは、韓国人に比べて、自然に許容できる傾向が低いことがわかった。
 質疑応答(例)
Q:年齢や性別の相違があっても、韓国ではスキンシップが許容されるのか。
A:韓国でもやはり、目上の人でかつ異性間でのスキンシップは、消極的になる。
Q:日本のデータで、幼少からスキンシップが激減しているのを見ると、育児のやり方そのものが変わってきたのか。また、韓国と異なったやり方であるのか。
A:データでの証明はされていないが、日本では昔に比べるとスキンシップが減少したという話をよく聞く。それはしばしば、戦後の「大人になる教育」が変化したからではないかといわれるが、きっかけはまだ不明である。また、韓国では、スキンシップと成熟度を関連させた教育は、日本ほどなされていないので、大人になってもスキンシップをすることは不自然なことではない、と考えられている。


第2部: 「臨床心理地域援助の現状と課題―日本人の『働き方研究』―」
話題提供者:
九州大学 留学生センター 高松里氏

 留学生センターのカウンセラーである話題提供者の紹介や、著作を紹介しながら、自身の活動内容が紹介され、話題提供者が病気の誤診を機会に考えた「働き方」について、「働き方研究所」の趣旨とともに報告がなされた。体験談や写真、生き方についての引用句を用い、さらに「悪魔の言葉シリーズ」や「バーンアウト」のプロセスなど、現在の生活について、多様に考察するきっかけが提供された報告であった。
 質疑応答(例)
Q:「働き方研究所」は誰でも入れるのか。
A:所長に参加の旨を伝え、登録をすれば誰でも会員になれる。
Q:「バーンアウト」の予防法はあるか。どのようなことをすればよいか。
A:予防法は人や状況によって様々だが、「ことばに表すことが出来ない不安」であっても、似たような境遇の人や、話を聞いてくれる場所を持っておくことが出来れば、不安が緩和されることが多い。また、周囲にそのような人を見つけても、周囲の人が倒れるのを予防することは難しいが、後遺症を考えると、出来れば早い段階で自分の振る舞いについて考えるきっかけを持つのが望ましい。
 今回、多文化関係学会の研究会には初めて参加させていただいた。形式は、普段の学会と同様に発表者の報告、質疑応答という内容だったにも関わらず、質問や意見が自由にやり取りできる研究会の雰囲気が、とても心地良く感じた。また、参加されている方それぞれの異文化体験や、異文化に対する視点や考え方を身近に感じ、それについて意見交換をする場として、貴重な議論の場であった。

文責:合澤由夏(九州大学院生)
7月26日(土)
関東地区研究会・ホラロジーの会
場所: 青山学院大学

関東地区研究会: 「多文化組織における日本人リーダーのコミュニケーション行動:フォロワーの視点に対するライフストーリー・インタビューを中心にして」
話題提供者:
石黒武人氏(明海大学外国語学部英米語学科専任講師)
         
 今回の関東地区研究会は、ホラロジーの会とのジョイントという形で実施され、非常に活発な議論が展開された。以下に石黒武人先生の研究発表の概要と感想を述べる。石黒氏の発表は、研究テーマ、研究目的、研究方法、調査結果・考察、説明モデルの提示、研究の評価・限界及び今後の課題という段取りを踏み、非常に論理的かつ丁寧に進められた。本研究は、多文化組織における日本人リーダーのコミュニケーション行動の傾向性を、英会話学校・英語学校という場を用い、異文化出身フォロワーの視点から検証された質的研究である。研究方法は、フォロワーの認識世界に接近するという観点から対話的構築主義に基づいたライフストーリー・インタビューが適用されている。この研究方法は、個人の語りを記述し、語りにおける解釈の規則を明らかにする性質がある。結果、フォロワーの視点からすると、日本人リーダーのコミュニケーション行動が異文化出身フォロワーとの分離を助長する傾向があると提示された。石黒氏は、これらのコミュニケーション行動は、異文化出身フォロワーの日本人リーダーに対する「違和感」と「不信感」を誘発し、その関係性に落差と深刻なコミュニケーションギャップが存在するとも指摘された。  本研究は、健全な理論的枠組みに裏打ちされた質の高いものであるが、私自身は、先ず石黒氏の研究者としての真摯な姿勢と熱意ある語り口に非常に感銘を受けた。本研究のような人の認識世界を研究データとして扱う場合、研究者の自分を見つめる批判的視線だけでなく、地道で丁寧な分析作業が必須になると思われる。石黒氏の分厚い研究資料と発表の背後にある長い努力を垣間見ながら、彼の研究者としての高い資質を感じ、私自身非常に刺激を受けた。また、研究内容、研究方法、研究アプローチなどに関する多様な質問とコメントが参加者と交わされたことも、知的好奇心を刺激する質の高い発表であったことを物語っていた。
文責: 坂井二郎(立教大学)


ホラロジーの会: 多元化する医療と多文化化する医療:医療におけるコミュニケーションの問題の批判的再考
話題提供者:
岡部大祐氏(青山学院大学国際コミュニケーション専攻博士後期課程/同大学総合研究所特別研究員)

 患者として、研究者として、医療でのコミュニケーションの問題にどう向き合うか――。この日の話題は、“研究対象との距離”という微妙で、かつ基本的な問題を軸に展開された。
 開口一番、「研究会というなかば公開の場で体験を発表することは、個人的にはリスクを伴う実験的な試みでもある」と語った岡部氏。医療現場に身を置く患者の目線を基本に据えながら、1)言葉の視点、2)文化の視点、3)社会の視点から医療におけるコミュニケーションの問題についての考察を披露した。
 例えば、1)言葉の視点に関しては、抗がん剤による苦しい治療過程で発せられた看護婦からの一人称単数の慰めの言葉(「私も祈りますから・・・」)の効果が、一人称複数(「私たちも祈りますから・・・」)といかに異なるのかに気付き、言語に焦点を当てる重要性を感じたという。また、3)社会の視点からは、「医療」は社会的構成物として、社会的な文脈の中で再定義されるべきだと強調した。医療が社会的であることを踏まえ、患者は批判されにくいのに医療現場に対しては一方的な批判が起きやすい現象を紹介しながら、医療現場と研究者とが協力しながら理論構築することへの期待も示した。
 「研究者」としての立場、「当事者」としての立場にどう向き合うべきかというテーマだけに、フロアーからも参加者自身の経験を踏まえたコメントや質問が多く出されたが、岡部氏本人はこう答えている。「当事者としての経験は避けられない。でも、それを前面に出した関わり方はしない」。
 紹介された3つの視点はいずれも興味深かったが、個人的には1)の「言葉の視点」が最も印象的だった。蒲柳の質ゆえに、留学・出張・旅行先でたびたび短期の患者として現地の医療行為を受けた体験からも、言語の視点から考えるべき問題がまだ潜んでいるように感じられるためである。
文責: 可部繁三郎(青山学院大学)
7月12日(土)
2008年度 北海道・東北地区研究会報告
北海道・東北地区研究会委員長
伊藤明美(藤女子大学)

 去る7月12日に北海道・東北地区研究会が藤女子大学キリスト教文化研究所とのジョイントで開催された。第一部は渡辺崇子氏が「津田梅子による女子高等教育開拓―新渡戸稲造と妻メリーとの接点に着目して―」、第二部は柊暁生氏が「『赦す』ということ」をテーマにそれぞれ報告した。
 渡辺氏は、津田梅子による女子高等教育の開拓は二つの方向性を持っており、それらは米国に留学生を送りだすこと、そして自らが学校を設立して女子教育を行うことであったと述べ、その教育開拓には新渡戸稲造および敬虔なクエーカー教徒であったその妻メリーをはじめフィラデルフィア在住のクエーカーの人びとの人的・精神的・経済的援助があったことを明らかにした。
 また、聖書学の専門家である柊氏は、ハンムラビ法典、旧約聖書および新約聖書からの詳細な資料を示しながら、「赦し」は聖書にどのように表現されているのかについて報告した。聖書に書かれた復讐や赦しに関わるたとえ話の解釈を通じ「赦し」はイエスの教えの中心にあるということ、また、聖書では数(特に7)を使ったたとえ話が用いられるが、7がキリスト教文化にとって重要な数であると共に、「罪」は「負債(借金)」と考えられていることなどが示された。赦すという行為は自分にとって否定的と思える他者の行為(事実)をどのように解釈するかが問われており、それは「理性を超えるもの」という柊氏のまとめのことばが強く印象に残った。
 両報告ともに質疑応答が活発に行われ、学部生・大学院生を含めた40名あまりの参加者にとって知的刺激にあふれた研究会となった。懇親会にも7名の参加を得て、会員・非会員を問わず楽しく充実感のある交流ができたように思う。
 2008年北海道研究会 その1 2008年北海道研究会 その2
7月5日(土)
関西・中部地区合同研究会報告 (関西地区第9回研究会報告)
場所: 関西学院大学 大阪梅田キャンパス
テーマ: 「異文化における日本人のコミュニケーション行動を探る」
参加人数:  11名

第1部: 「オーストラリア・カウラ捕虜収容所日本兵脱走事件: 日本人のコミュニケーション特性からの考察」
話題提供者(1):
柳本麻美氏(桃山学院大学)
         
 本発表は、1944年8月5日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州カウラにあった戦争捕虜収容所で発生した、日本兵捕虜による集団脱走自決事件について、日本人の行動の要素の点から考察したものである。柳本氏はこの事件について修士論文で扱ったことがあり、今回は執筆時には気づかなかった問題点などについても、再度考えを深めてみたいとのことであった。
 戦時中カウラに設けられた捕虜収容所では、中で区切られた地区別に各国の捕虜を収容しており、日本人捕虜は42の班に分けられていた。そんな折、別の収容所での暴動を機に、捕虜の一部を別の収容所に移すことが通告された。その後すぐ行われた班長会議ではそれに反対する意見はそんなに多くなかったのだが、1人の班長が脱走を持ちかけたときに状況が一変する。その意見が元となって班員による投票が行われたが、その結果、脱走に賛成したのが8割に上ったのである。すぐに計画が練られ、当日の深夜に実行された。彼らの目的は脱走そのものではなく、武器のない収容所から脱走して自決することであり、結局死者234名、負傷者108名を出した。
 柳本氏の疑問は、(1)行動に関わる要素は、戦陣訓の他にも、日本人の特性、捕虜収容所という場所における偽りの身分関係、建前と本音の併存、オーストラリアでの異文化衝突など色々考えられるが、それらがどう絡み合ってこのような行動に結びついたのかということ、(2)当初それほど多くの捕虜が脱走に賛成していたわけではなかったのに、たった1人の班長の意見を契機に突如賛成に転じ、死へと向かうだけの脱走計画に参加したのはなぜなのかということ、(3)このような日本人捕虜の行動については、「生きて虜囚の辱めを受けず、云々」という戦陣訓に基づく説明がされやすいが、海軍兵が最初に収容され、後に陸軍兵が収容されるようになったカウラにおいては、必ずしも最初から日本兵捕虜が脱走を計画していたわけではなかったのに、このような事態に至ったのはなぜなのか、といった点に向けられていたようである。
 質疑応答では、日本兵が取った突拍子もない行動に注目が集まり、その行動を引き出した日本人の特性について議論が交わされた。その中で、日本人には普段は温厚であるが、切羽詰まった時には突拍子もない行動を取る特徴があり、そのことについての検討が必要なのではないかという意見が出された。この事件については、興味を持っている人も多く、また研究会の3日後にカウラの事件を扱ったドラマが放送されるということもあり、質疑応答は盛り上がりを見せた。
文責: 西端大輔(大阪大学・院)


第2部: 「デュッセルドルフの日本人社会の調査をはじめて」
話題提供者(2):
中川慎二(関西学院大学)

 中川氏は、ドイツの在留邦人の多くが集住しているデュッセルドルフを拠点に、在住日本人への面接によるライフヒストリーの語りを中心に、参与観察や、文献調査をもとに、ドイツにおける日本人社会と現地社会とのかかわりを描き出すための調査を行っており、その研究について報告された。
 デュッセルドルフには、ドイツ全体の日本人の22.8%、7681人が集住しており、日本クラブの個人会員は約5000人という規模で、駐在員とその家族からなる日本人社会が、現地に住み着いた日本人との一定の関係を保ちながら存在している。これほど集住するのは、日本人のためのインフラとして必要とされる組織が揃っているためであり、その中心に「在ドイツ日本商工会議所、日本クラブ、日本人学校」が位置している。ちなみに日本人学校はヨーロッパで最大規模である。いわゆる「本住まい」の意識の強い労働移民からなる日本人社会と違って、駐在員は3年から6年程度で異動になるケースが多いために、デュッセルドルフでも「仮住まい」の意識が強いという。面接をした駐在員の多くは日本人コミュニティへの意識が強く、ドイツ社会と交わる接点は限られているという。
 また、広義に捉えた現在のデュッセルドルフ周辺の日本人社会は構成メンバーの高齢化と若齢化の問題を抱えている。高齢化は、戦後ドイツに労働力として派遣された人、駐在員としてドイツに渡った後に住み着いた人たちが70歳代から80歳代になっていることから起こっている現象で、現在では高齢者介護を目的とした日本人のグループがドイツ国内で活動している。弱齢化は、駐在員の子供たちの年齢層が低くなってきており、中学・高校の年齢から幼稚園・小学校にその中心が移動してきていることである。中川氏によると、彼らの日本人コミュニティとの関係の持ち方は、(A)どちらかというと日本人コミュニティに暮らしている、(B)どちらかというとドイツ人コミュニティに暮らしている、(C)どちらの空間も行き来している(ハイブリッド)、(D)高齢化してハイブリッドになりつつある、という4つのタイプに分類される(仮説)という。
 今後、さらに詳細な分析が行われるということで、報告の続編が期待される。このような海外の在留邦人の分析を通して、日本に在住する外国人のコミュニティの日本社会との関係性や彼らの日本社会への帰属意識の多面性の問題を理解するための重要な枠組みが提示されるのではないかと思う。
文責: 松田陽子(兵庫県立大学)
3月29日(土)
九州地区研究会
九州大学六本松地区キャンパスにて開催

第1部: 「海外で働く日本人日本語教師の文化的調整のプロセス―教育現場における異文化接触の事例を中心に―」
話題提供者:
古谷 真希氏 (九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程2年。日本語教育、異文化コミュニケーション)
         
 本発表では、質問紙調査における事例をもとに、海外で働く日本人日本語教師と学習者の間の異文化接触上の問題点について議論されたが、それに先立ち、議論の中心となる文化的調整の概念が紹介された。文化的調整とは、異文化接触の際に問題となる概念である。従来は異文化適応という用語が用いられる場合が多いが、異文化適応には、個人の心の問題であり、自分の文化を捨てて相手の文化を受け入れれば解決される問題であるという含みがある。それに対し文化的調整は、相手とのやり取りを調整し、自文化と異文化との融合を目指すというものである。  文化的調整を行う際は、カルチャーショックと不確実性が問題となる。不確実性とは、異文化と接した際にどういう事態が起こるか分からないことで、目的に達するための手段や意図した行為から得るであろう結果を知らないことである。そして、カルチャーショックとは不確実な状態によって引き起こされるストレス反応である。これらを確認した後、海外で働く日本人日本語教師は、滞在国文科を取り入れつつも、日本人のサンプルとして自文化を保持し、学習者に提示する必要があるため、より複雑な調整過程を辿るのではないかという問題提起がなされ、3名の日本語教師から得られた事例が紹介された。  事例は、カルチャーショックの要因ごとに@教室内外のルールの違い、規範意識の違いA学習者の予想外の反応・態度B政治上の問題、の3つに分類され、学習者との具体的なやり取りに関する記述をもとに、文化的調整の過程が分析された。そこでは、学習者との共通意識を構築していくことの重要性や、教師の持つビリーフ(信念)が学習者との関係を阻害する要因となる可能性があることなどが指摘された。  発表後は、参加者による異文化接触の事例の紹介や、日本語教師に対する異文化間コミュニケーション教育への展開の可能性についての議論が行われ、日本の学校教育における教師−生徒間の問題にも示唆が与えられるのではないか、と言及された。


第2部: 「日常会話」とは何か?−異文化コミュニケーションの視点から」
話題提供者:
畠山 均氏(長崎純心大学人間心理学科。対人コミュニケーション、異文化コミュニケーション、英語教育)

 本発表では、主に中学校における英語教育を題材に、「日常会話」とは何か、外国語の日常会話とは「ぐらい」や「程度」という表現をつけて言えるほど簡単なものなのか、という問題提起のもと、異文化コミュニケーションの視点から「日常会話」についての再考が行われた。
 まず、中学校での英語教育の位置付けとして、学習指導要領や教科書の内容などが紹介された。学習指導要領では「コミュニケーション能力」の育成が重視されており、英語で日常的な会話や簡単な情報の交換ができるような基礎的・実践的なコミュニケーション能力を養うという方針が示されているが、実際授業で使用されている教科書では構文的には難しい対話文が導入され、授業時間数と内容量・質のミスマッチから、場面ごとの決り文句を覚えるだけで単元が終わってしまうという点が指摘された。
 次に、会話そのものについての説明がなされ、会話は@挨拶A日常交渉B日常会話、の3種類に分類されることが紹介された。@は言葉の意味よりそれを交わすことが重要であること、Aは「郵便局での会話」「駅での会話」のように、はっきりとした目的と明確な始まりと終わりがあること、Bは「友人とのおしゃべり」のように、目的がはっきりせず始まりと終わりが不明確であること、が確認された。この分類によると、一般的に市販されている英語の教材は「日常交渉」が主であることが分かる。
 続いて、異文化コミュニケーションの視点から会話の3分類について説明がなされ、異文化接触をする際にもっとも誤解を引き起こす可能性が高いのはB日常会話であることが指摘された。日常会話では、文化の違いが大きく影響する。例として、話題の選択や、相手に対する質問の質・量、論理の筋道の立て方、あいづちをうつ場所・回数、沈黙に対する認識などが、文化により大きく異なると指摘された。
 最後に、日常会話は日常交渉と異なり文化の影響が大きいことが再確認された。日常会話には人間関係なども関わってくる。そのため「日常会話ぐらいできれば」と言えるほど簡単なものではないにもかかわらず、現在の学習指導要領はその点を考慮していない。このことは今後の日本の英語教育に深刻な影響を及ぼすのではないかという指摘がなされた。
 発表後は、活発な質疑応答が行われた。外国語の日常会話を習得することの難しさや、教師として日常交渉から日常会話に引き上げるためには何をしたらいいのか、などについて参加者自身の経験等を交えながら議論が展開された。

 今回は、遠路はるばる北海道から駆けつけてくださった参加者もあり、終始なごやかなムードで研究会が進行していきました。参加人数は多くありませんでしたが、参加者の一人ひとりが十分に議論に参加することができたため、非常に充実した研究会であったように思います。
 文責:古谷真希(九州大学)
3月15日(土)
関東地区研究会・ホラロジー報告
 3月15日(土)、青山学院大学にて関東地区研究会およびホラロジーの集いが持たれた。研究会では多文化関係学会初代会長の石井米雄先生(現在、人間文化研究機構長)をゲスト・スピーカーに迎え、多文化関係学とは何か、その可能性とこれからの展望について語っていただき、その後、ホラロジーの会で参加者を中心に活発な意見交換がなされた。
 石井先生は、これからの多文化関係学の在り方として、複数の学問分野(ディシプリン)の研究者と問題意識を共有することが必要であると同時に、ディシプリンとはいわゆる道具にしか過ぎず、いかにこの道具を使って本質を概念化し、体系化するかこそが重要との見解を示された。ご専門のタイ文化研究に基づいた多くの興味深い例を紹介され、その深い知識と軽やかな語り口に参加者は時間が過ぎるのも忘れ聞き入った。
 ホラロジーでは、参加者から石井先生のお話に対して質問が続出し、さらには多文化関係学が目指す方向とは何かについて様々な視点から意見が出され、非常に有意義な会となった。休憩時間には、お茶やお菓子、お汁粉がふるまわれなど、終始和やかな雰囲気であったことも、ベテラン、若手を問わず思いを語れる会となった一因であろう。
 文責:灘光洋子
3月7日(金)
関西地区研究会
デイサービス・ハナマダン東九条

「在日コリアン高齢者デイサービスへのフィールドワーク: デイサービス・ハナマダン東九条(NPO法人京都コリアン生活センター・エルファ)訪問」

北海道研究会  「『ハナマダン』はハングルで『1つの広場』を意味する言葉で、『エルファ』はうれしい時や楽しい時にでる感嘆符なのです。悲しい時にでる『アイゴー』の反対語です」と、理事長である鄭禧淳氏の説明からフィールドワークは始まった。京都コリアン生活センター・エルファは、異国で苦労を重ねた同胞高齢者に穏やかな晩年を提供するために、「自分の生活史を持って生活できる場所」を京都の東九条――映画「パッチギ」の舞台となった地区――に設立された。1口500円の寄付を1400人(日本人も含めて)から集めた資金をもとにエレベーター付き2階建てのこぢんまりとしたバリアフリーの建物が、在日コリアン高齢者の方々が集まってくる広場となった。メンバーは曜日によって代わるが、毎日20数名が集まって、言葉に不自由を感じることなく、ハングルの歌やコリアン料理を満喫する数時間をここで過ごす。
 金曜日にデイサービスに通ってこられる在日コリアン高齢者の方々と私達のためにリクリエーションを担当してくれたのは、コリア語と日本語ができるスタッフであった。ボールを投げ返しながら数を数えるゲームを全員で行った。「ハナ」「ニ」「スリー」と、コリア語、日本語、英語(異文化コミュニケーション学会会員のアメリカ人2名が参加したため)の3ヶ国語を交えての交流は、在日コリアン高齢者の方々には少し複雑であったようであったが、笑顔と笑いは途切れることはなかった。2つのチームに分かれてボールを運ぶ競争では、負けたチームが「アリラン」を歌い、勝ったチームもその歌に合わせて踊った。最後には、自然に隣同士がお互いに手をつなぎあい、アリランの大合唱となった。「エルファは、このような時に自然に出てくる感嘆符なのだなー」と実感したのは、参加者の中でも私だけではなかったと思う。最後には、一人ひとり手を取り合いながら、「元気でね」「また会いましょう」と言葉を交わした。
 「昔の苦しいことを忘れて、今日いっぱい楽しめて、明日目が開かなかったらいい」「エルファの歌で逝くから」という在日コリアン高齢者の方々の言葉には、異国で老いを迎える人々のアイゴーの気持ちが込められている。それだからこそ、「私達のことを知って欲しい」と、私達を含め多くの訪問者との交流を深めようとしているエルファの在日コリアン高齢者の方々の姿勢に、多文化関係学を学ぶ者として畏敬の念を覚えた。
 文責:金本伊津子(桃山学院大学)
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2007年
7月7日(土)
関西地区研究会
関西学院大学大阪梅田キャンパス(参加者20名)

(1) 「異文化から多文化へ −日本における『外国人とのコミュニケーション』
のイメージと実態―」

話題提供者:Teja Ostheider〔テーヤ・オストハイダー〕氏(近畿大学)

(2) 「中国人と付き合う ― 大学交流の現場から見る −」
話題提供者:三宅亨氏(桃山学院大学)

(1) 発表は学生を対象とした意識調査のデータから始まった。「日本における外国人のなかで、どこの国の人が多いと思いますか?」(三位までの国名を回答させた)この問に対す る回答の一位は韓国・朝鮮、二位中国、三位アメリカ合衆国であった。実際にはわずか2.5%しかいないアメリカ合衆国からの人々のイメージは、実際には15%にも上るブラジ ル人や9.3%のフィリピン人のイメージよりも「多い」ことが示された。日本における「外国人とのコミュニケーション」について、そのイメージと実態のギャップが問題とし て強調された。日本で言われている「異文化コミュニケーション」=英会話、「英語第二公用語論」、「英語が使える日本人」などのスローガンが出てくる現在の日本社会のかかえる 問題点を指摘したうえで、オストハイダー氏がこれまで実施した調査データを下に、外国人と話すときに使用する言語、外国人の日本語能力に関する経験、「外国人」の象徴となり がちな西洋人に対する日本人の意識、日本語のイメージなどから一定の傾向を指摘された。
 発表の後半では、外国人に対するコミュニケーション行動を左右する要因に、単に外国人の言語能力だけではなく、出身地による外見的特徴、また非外国人の経験、態度、先入 観や言語意識などのような「言語外的条件」が大きく関わっていることを指摘された。つまり、物理的また心理的な「言語外的条件」と対外国人言語行動が深いかかわりがあるこ と、それが日本人の「過剰適応」として現れていることを調査結果から示された。その中で特に問題にされたのが「第三者返答」である。つまり、日本人は話し相手であるはずの 外国人に返答するのではなく、その場にいるが本来は第三者である日本人に返答する傾向があるというものであった。
 最後に氏は、異文化から多文化への展望として、外国人の出身国を問わず公平にコミュニケーションをはかれるような能力を身につけることが重要であること、また外国人に対 して使える英語能力よりも、日本語による対外国人コミュニケーション能力の育成が重要であることを指摘された。そのあとの懇談では、日本におけるコミュニケーション教育の 問題やその解決策についても積極的な意見が交わされた。今後のわれわれの課題として共有していることが確認された。
 文責:中川慎二(関西学院大学)

(2) 三宅氏は、中国人との付き合いについて、歴史的なアプローチから分析をされた。1980年以来、外国教育と国際交流に携わり、20カ国あまりの大学との交流、留学生の派 遣や受け入れに関わってこられた。豊富な体験からの具体例をあげて、ユーモアをまじえ、非常にわかりやすく説明された。
 中国の歴史を振り返ると、始皇帝から共産党独裁体制に至るまで、民意による政権は一度も存在していない。乱世・革命の繰り返しで庶民の生活や安全はほとんど顧みられなか った。国家・政府・支配者は庶民の生活を守らない「大統一」という中央集権のもと、庶民は、政治に関わることを避け、自衛策として、他人を安易に信用せず、自分の身は自分 で守る、集団よりは自己を優先する「一盤散砂」という個人主義という生き方を身につけてきた。一方、生き残るために、血縁や親しい友人とは助けあう、「多個朋友」「拉関係」 「走后門」という人間関係を大切にしてきた。赤の他人と、血縁や地縁で結びついた身内の間に、厚い壁を築いてきた。原理主義と現実主義という両面を兼ね備えている。中国人 との人間関係において、何よりも大切とものとされる「面子」は、表としての原理主義で、一旦「面子」(原理)がたてば、裏としての現実主義で対応するという柔軟性も持ち合わせ ている。「中国人と付き合う」場合、「まずは本音で語り合える友人関係を作りあげること」が大切である。その時には、何よりも相手の「面子」に注意することを強調された。
 今後ますます必要性が高まると思われる中国人との付き合いにおいて、今回の発表では一つの枠組みが提示された。三宅氏が結びとされた「相手の文化・歴史を尊重すること」 「優劣をつけず文化の違いを楽しむこと」は、多文化間の関係性を考える際に、忘れてはならない大切な言葉をいただいたように思う。
 文責:柳本麻美(桃山学院大学)
7月14日(土)
北海道・東北地区研究会
 去る7/14(土)に第5回北海道・東北地区研究会が藤女子大学北16条キャンパスで開催された。45名の参加者の中には,遠路旭川市から参加された先生もあり研究会は盛会のうちに終わった。
 第1部は(財)札幌国際プラザ外国語ボランティアネットワーク 多文化共生グループSKYによる活動報告,そして第2部では北海学園大学教授 藤村和久氏が「アイヌの異文化受容について」というタイトルで講演を行った。SKYは主に札幌市在住の留学生たちとその家族を対象にした支援活動を行っている。丁寧なアンケートやヒアリング調査を踏まえたその活動は,留学生たちの生活に密着した感があり,支援の質の高さが感じられると同時に,調味料リストを作成して留学生に提供するなど,きめ細かさも持ち合わせた内容であった。民間ボランティア支援グループは札幌ではSKYだけとの報告であったが,大学組織等との連携プレイが実現できれば,グループの札幌における留学生支援はさらに充実していくのではないかと思われた。  
 また,第2部では,藤村氏の長年にわたる研究およびアイヌ民族との交流から,アイヌの空間世界は遠大であり,彼(女)らにとって和人はそもそも「異文化」ではなかったということが指摘された。かつて自給自足を基本としたアイヌの生活は,異文化(他者・自然)を生かすことで成立していたのだという。国家という狭い空間しか持てなくなってしまったかにみえる現代人の多文化共生を考える時,こうしたアイヌ民族の思想に学ぶべきことは多く,また,アイヌ文化振興法施行後10年という節目の年に実に相応しい講演内容であった。
 文責:北海道・東北地区研究会運営委員長 伊藤明美(藤女子大学)

北海道研究会北海道研究会
7月21日(土)
関東地区研究会
慶應義塾大学三田キャンパスにて開催(参加者30名弱)
「ヴェトナム文化を考える・語る」

(1) 「ハノイの路地のエスノグラフィー:動きながら関わりながら識る異文化の生活世界」
話題提供者:
伊藤哲司氏(茨城大学人文学部人文コミュニケーション学科教授)  
         
(2) 「ヴェトナム人の多文化接触:メンタルヘルス概念と女性の通過儀礼の変容」
話題提供者:
鵜川晃氏(武蔵野大学人間社会・文化研究科博士課程後期2年生)  

  伊藤氏は、1998年ヴェトナム在外研究中のフィールワークについて、路地風景の写真や、図などを多用し、親しみやすい語り口で参加者を心地よく引き込む発表をされた。
 家を借り住み始めた路地が、通行のためだけでなく、人々の生活の魅力的な場であることの発見から始まるお話でした。当初の「言葉の壁」が、それをものともしない当時2才の娘さんが、斜向かいの雑貨屋に出入りし強力な研究媒介者となり、ヴェトナム人の日常に自然とかかわりをもち、最後には、日本語・ベトナム語でエスノグラフィーを出版され、外国人から見たハノイの路地を描いたその本は、ハノイの人たちの関心をも大いに集めたとのことです。
 こうして、異文化を「動きながら関わりながら識る」ことをご自身が実践され、その重要性を何度も強調されました。「客観的に観察をする」研究に対し、フィールドの人たちと積極的に関わり交わることを、半ば楽しみつつ、そこで識りうることを大事にしていく氏の研究姿勢が、鮮明に実感されました。
 私の幼稚園教諭としての20年の間には、国外から来日し、母語とは違う環境で園生活を始める子もいます。初日、身動きもせず周りの様子を見ていて「泣き出してしまうかな?」と心配するのですが、しばらくすると好きな遊具を見つけ、遊び仲間に加わり、うなずいたりまねたりし始めます。「言葉の壁」を越えて遊ぶパワーに驚かされます。こうした私の経験と重ね合わせ、多様な文化に、動き、関わることの大切さをあらためて感じ、また、将来子どもたちが様々な人々と共生できる基盤をもてるよう、多文化を体験する保育の工夫をしていきたいと感じた研究会でした。
 文責:高橋順子(東京都千代田区立九段幼稚園)

 鵜川氏は、ご自身がかかわられた近年の二つの調査、1.べトナム人女性の妊娠・出産・産褥期に見られる通過儀礼がベトナムとの比較で、移住先の日本とカナダでどう変容したのか、 そして2.これら三国における、アルコール依存、うつ、統合失調症についての原因帰属をめぐるメンタルヘルス概念と、援助探索行動とにどんな違いがみられるのかを、丁寧かつ明快に発表された。最後に、病気の概念や援助探索行動における文化変容として、表面的な変化や適応、また家族による違いにかかわらず、さまざまな慣習の中に自文化が伝承されているのではないか、例えるとキャベツのように普遍的な部分(芯)と、少しずつ移住先の文化に影響を受け変容をみせる部分(葉っぱ)があるのではという考えを、示された。
 インドネシア難民という言葉が何を指し、それは日本でしか使われていないという事実、日本の難民受け入れ政策の変化などマクロな背景をはじめ、日本人に馴染みがうすいベトナム人、ラオス人等民族的マイノリティーが日本に生活し、氏やその研究グループでは、彼らの文化に沿う形でのメンタルヘルスの支援を模索しているという、多文化社会日本の、現実と課題の一端が明らかにされた。質疑応答では、言葉や文化の壁を越えて調査する若い研究者の方法論や思索の刺激になる多数の質問が、学会内外の参加者から寄せられ、活発なやり取りが展開された。聞き取り調査で文化葛藤などでの苦労の際に、メールや愚痴日記は書いたが、フィールドノーツをつけてなかったので、今後してみたいといったことまで、和やかに話される研究会であった。
 文責:手塚千鶴子(慶應義塾大学)
9月29日(土)
九州地区研究会
会場: 九州大学六本松地区キャンパス本館2F第3会議室にて開催(参加者: 14名)

(1) 「異文化間における対人関係価値志向性の多角的分析--滞日留学生と日本人学生の人間関係の改善に向けて--」
話題提供者:
谷之口 博美(山口大学国際センターJ-cat研究室勤務。日本語教育、異文化コミュニケーション)

 本研究は日本に滞在する留学生と日本人学生との間で友人形成が難しいという現実を踏まえて、それがお互いの価値観の違いによるものだと仮定し、その相違を明らかにする「対人関係価値尺度」を作成し、調査を行ったものである。発表は先行研究の説明に時間がとられ、留学生問題や価値観についてのこれまでの研究について丁寧に説明された。しかしその後調査の結果に飛んでしまい、後の質疑応答では「プロセスが分かりにくい」という批判も出ていた。
 調査の結果からは、日本人の対人関係価値志向である「傍系=直系>個人」の、特に「傍系=直系」という、二つの価値志向性が混在した複雑さを留学生が読み取ることが出来ていないことが明らかになった。さらに「日本人観」のみならず「自国での価値観」と「日本での行動」についても同項目で調査したところ、自国での価値観には二つの価値志向性が混在する「二価値混在型」が存在し、しかも多数派を占めていたことがわかった。また、「単一価値志向型」よりも「二価値混在型」の方が日本人観に整合性が見られた。ここに両者の認識の差が示されたことになる。
 今後はデータの数を増やし、検定をかけてみることによって各項目を特定してゆき、尺度作成にむけて研究を続けたいということであった。
             
(2) 「多文化社会論の課題としての帰属心」
話題提供者:
石松 弘幸(福岡大学経済学部、福岡教育大学非常勤講師。政治理論、多文化社会論)

 本発表では、チャールズ・テイラーやウィル・キムリカなどの多文化主義論とスーザン・メンダスの寛容論が紹介され、その意義と問題点について検討された。そして社会への帰属心という論点が今後の多文化社会論の理論的課題として提起された。テイラーやキムリカの行った多文化主義論の意義は、アイデンティティにとっての文化の重要性を指摘したこと、その尊厳の保証を試みたことにあるという。続いてスーザン・メンダスの寛容についての議論が検討された。メンダスは寛容の理念についてJSミルとジョン・ロックの議論を対比して考察し、ロックの社会統治のための合理性に立脚した寛容論を、自律を基調とするミルの自由論・寛容論より高く評価する。しかし、複数の文化が共存する今日の社会において、異文化・他者への寛容という理念そのものが、その内に寛容の対象となる他者=よくない存在・様式という了解を含むゆえに、適切なものではない。また、上の多文化主義論者の議論についても、多文化社会全体への帰属心という課題の実現という点では不十分である。なぜなら、多文化主義的措置によって、個々の文化共同体内での帰属心が実現されたとしても、他の文化集団との間に反目が存在すれば、多文化の共存する社会全体への帰属心は達成されない可能性があるからだ。こうして、多文化社会において解決すべき問題としての社会全体への帰属心という論点が提起され、そのために必要な新たな理念の必要性について言及がなされた。
 今回は九州地区で二回目の研究会だったが、わざわざ山口や長崎からも駆けつけてくださったので、前回よりも賑やかな会合だった。発表のテーマ・分野は、全く異なってはいたが、参加者たちはそれぞれの発表に真剣に耳を傾けて、研究の方法や概念・用語の使用について質問を投げかけていた。いずれにしても、学ぶことの多い充実した研究会となったが、惜しむらくは二次会の参加者が少なかったことである。
 文責:谷之口博美・石松弘幸
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2006年
3月9日(木)
10日(金)
関東地区研究会
立教大学8号館PCルーム
「はじめてのExcel・SPSS」
Excel講師: 河野, アシスタント: 原田
SPSS講師: 青木, アシスタント: 河野, 原田
3月17日(金)
関西地区研究会
関西学院大学 西宮上ヶ原キャンパス 第2教授研究館
「多様な文化背景を持つ子ども達の表現活動 ―阪神大震災後の神戸の取り組みから―」
話題提供者: 日比野 純一
         (NPO法人たかとりコミュニティセンター専務理事・FMわいわい代表) 
「心の和み日本人らしいコミュニケーションとは?」
話題提供者: 今井 千景(大阪大学・関西大学)
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2005年
1月
多文化関係学会ニュースレター 第6号 発行
3月8日(火)  関西地区研究会
関西大学 千里山キャンパス岩崎記念館
「タイにおける国民文化の習得プロセス−東北部小学校でのフィールドワークより−」
話題提供者:野津 隆志(兵庫県立大学)
「捕鯨問題と捕鯨文化についての一考察」
話題提供者:細川隆雄(愛媛大学)
参加者約15名
3月12日 関東地区研究会
青山学院大学 青山キャンパス11号館
「比較文化研究における心理尺度・質問項目の等価性について」
話題提供者:田崎勝也(フェリス女学院大学)
「9.11貿易センタービル被災邦人への緊急支援活動―政府との摩擦と邦人間の摩擦から感じたこと」
話題提供者:末安民雄(慶應義塾大学)
参加者約20名
6月  多文化関係学会ニュースレター第7号発行
7月16日 北海道・東北地区研究会
藤女子大学 北16条キャンパス新館752教室
「中国における少数民族教育とエスニシティ」
話題提供者:  李 明玉(北海道大学)
「それでもすれ違いは起きる−文化の“線引き現象”について考える」
話題提供者:岡村輝人(北星学園大学)・久米昭元(立教大学)
参加者約70名
7月22日(金)  関西地区研究会
神戸大学 国際協力研究科棟1階大会議室
「ニューカマーの就学・不就学に関する一考察―西日本・在日ラオス定住者の実態調査より―」
話題提供者:乾 美紀 (大阪大学)1:30-3:00) 
「幕末期、日本人の西洋文化受容―長崎における新教宣教師、フルベッキを中心として―」
話題提供者:村瀬 寿代 (桃山学院大学) (3:20-4:50)
参加者約25名
7月23日  関東地区研究会
青山学院大学 青山キャンパス総研ビル3階 第11会議室  
1合同セッション:「異文化接触における当事者の主観・主体性」(浅井・小柳)
2 「文化的アイデンティティにおける文脈と主体性の相互作用ー外国語指導助手の日本の教育実践への対処の事例からー」(浅井)                          
3 「異文化接触研究での関係論的アプローチの必要性−留学生の文化規範理解についての分析から−」(小柳)  

話題提供者:浅井亜紀子(カリタス女子大学)小柳志津(お茶の水女子大学)
参加者約25名 
10月21日(金)
22日(土)
23日(日)
第4回年次大会 名古屋学院大学キャンパス
(基調講演、総会、シンポジウム、ラウンドテーブル・ディスカッション、研究発表24件)  
大会テーマ
「岐路に立つ多文化インターラクション」
基調講演
「日中相互認識のずれと残された課題」
講演者:王 敏(法政大学教授)
司 会:手塚 千鶴子(慶応義塾大学)
オープンフォーラム
「東アジア文化圏の協働課題を探る」
司会:松田 陽子(兵庫県立大学)
ディスカッサント:永野 慎一郎(大東文化大学)
:三瀦 正道(麗澤大学)
:坪谷 美欧子(横浜市立大学)
ラウンドテーブル・ディスカッション
「日本人の忘れ物―ゆるみ、きしみ、ゆがみ」
司会:ヒダシ ユディット(神田外語大学)
ファシリテーター:岩男 寿美子(武蔵工業大学)
:久保田 真弓(関西大学)
:石井 敏(獨協大学)
:林 吉郎(青山学院大学)
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2004年
2月
多文化関係学会ニュースレター 第4号 発行
3月11日(木) 第1回関西地区研究会
関西大学 千里山キャンパス岩崎記念館 4階 多目的ホール
「異文化接触と第二言語・文化の習得─滞米日本人留学生の調査を通して」
話題提供者:八島智子(関西大学)
「国連からみた日本―30年間のスイス滞在を終えて」
話題提供者:畠一彦(川崎医療福祉大学)
参加者約25名
3月13日(土) 第2回関東地区研究会
立教大学 池袋キャンパス12号館地下1階第2会議室
「外国人への子育て支援-新宿区の保育園のフィールドワークから-」
話題提供者:猿田佳恵子(立教大学大学院)
「日本の大学組織とその国際化―事例研究を通して」
話題提供者:北原賢三(佐野学園)
参加者約20名
5月22日(土) 第1回北海道地区研究会
藤女子大学 北16条キャンパス 新館754教室
「ペリー来航150年:日本の近代化と国際化」
話題提供者:御手洗昭治(札幌大学)
「高等教育のグローバル化:大学運営と学習形態の変容」     
話題提供者:小林登志生(メディア教育開発センター) 
参加者約30名
6月12日(土) 2004年度第1回関東地区研究会
青山学院大学 総研ビル3階第11会議室
「多文化主義のない日本:コミュニケーションの可能性をめぐって」
話題提供者:クリス・オリバー(立教大学)
「多文化を対象とする情報行動研究の手法」
話題提供者:三輪真木子(メディア教育開発センター)
参加者 約25名
8月  多文化関係学会ニュースレター第5号発行
9月  『多文化関係学』創刊号 発行
10月23日(土)
24日(日)
第3回年次大会
東京女子大学
(招聘講演、総会、シンポジウム、オープンフォーラム、研究発表21件)
招聘講演(9号館1F)
「対話の時代に向けて」
講演者: 平田オリザ(劇作家・演出家・桜美林大学助教授)
司会: 手塚千鶴子(慶応義塾大学)
シンポジウム(24号館2F)
「地域間国際移動を考える:アジア地域を中心に」
司会: 御堂岡潔(東京女子大学)
パネリスト: 石井敏(獨協大学)
石井由香(立命館アジア太平洋大学)
石井米雄(人間文化研究機構)
渡戸一郎(明星大学)
オープンフォーラム
「”グローカル”化現象と日本の課題ー多文化関係の視点から」
司会: 三輪真木子(メディア教育開発センター)
パネリスト: ギブソン松井佳子(神田外語大学)、小川浩一(東海大学)
金 東俊(神田外語大学)
参加者約90名
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2003年
2月
多文化関係学会ニュースレター 第2号 発行
6月12日 関東地区研究会
立教大学 池袋キャンパス12号館第3会議室
講演
「多文化共生と人権問題―人身売買の廃絶に向けて」
話題提供者:甲斐田万智子(立教大学)
懇談会
「研究活動活性化のために」
司会:小林登志生(メディア教育開発センター)
参加者約20名
6月 多文化関係学会ニュースレター 第3号 発行
11月15日(土)
16日(日)
第2回年次大会
神田外語大学(基調講演、総会、シンポジウム、オープンフォーラム、研究発表17件)
講演
「イスラームの文化的深層を探る」
講演者:片倉もとこ(中央大学)  
ディスカッサント:石井米雄(神田外語大学・学会長)
シンポジウム
「多様性と統合の中の文化アイデンティティ:EUを例に」
司会:戸門一衛(神田外語大学)  
パネリスト:愛川紀子(神田外語大学)
ヒダシ・ユディット(神田外語大学)
松田陽子(神戸商科大学)
オープンフォーラム
「多文化社会へ向かう日本:課題と挑戦」
司会:加藤幸次 (上智大学)
パネリスト:呉小莉(城西国際大学)
ロベルト・マッジー(イタリア国営通信)
山田貴夫(川崎市役所) 
ディスカッサント:鈴木久美子(明治大学)
参加者約150名
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2002年
6月22日
設立総会と記念シンポジウム 青山学院大学青山キャンパス シンポジウム
  司会:久米昭元(立教大学)
  パネリスト:石井敏(獨協大学)
        林吉郎(青山学院大学)
        遠山淳(桃山学院大学)
        渡辺文夫(上智大学)
  コメンテーター:御堂岡 潔(東京女子大学)
参加者約120名
11月23日 第1回年次大会 立教大学池袋キャンパス
 (基調講演、総会、シンポジウム、オープンフォーラム、研究発表17件)
基調講演
「多文化関係研究への期待」

  講演者:石井米雄 (会長、神田外語大学学長) 
  司会:小林登志生(メディア教育開発センター)
シンポジウム
「多文化関係のダイナミックスー関係性の中から文化を問うー」

  司会:遠山淳 (桃山学院大学)
  ディスカッサント:石井米雄 (神田外語大学)
        手塚千鶴子 (慶応義塾大学)
        白水繁彦  (武蔵大学)
オープンフォーラム
「日本社会の危機現象を探るーリーダーシップのあり方をめぐってー」

  司会:小松照幸 (名古屋学院大学)
  ディスカッサント: 林 吉郎 (青山学院大学)
        町沢静夫 (立教大学)
        金丸健二 (コンサルタント)
参加者約90名
12月 多文化関係学会ニュースレター 第1号 発行
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